ありがとう、ごめんね。
感謝の気持ちが強いのか、それとも謝罪の気持ちが強いのか、よく分からん。よく分からんが、ありがとう:ごめんね=50:50では無いのは、なんとなく分かる。
決して感謝してないわけでは無いのに。50:50でなくとも、48:52くらいかもしれないのに、だ。
何だろう、この、『胡椒少々』くらいの、「結局どれくらいの量やねん?!」と突っ込みたくなるような歯痒さは。
これをふまえて、自分はこういう気持ちの時、強い気持ちの方を2回繰り返すことにする。
ありがとう、ありがとう。
か、
ごめんね、ごめんねー。
だな。
あれ、なんか漫才に聞こえる‥?
部屋の片隅で、誰からも気にされずただ放って置かれている‥‥かもしれない小銭たちよ。
半年前に床にぶちまけて以来、机の下か本棚の隅で日の目を見ていない哀れな小銭の末裔たちよ。
今年こそ大掃除をして、暗闇から拾い出してあげるから。
もう少しだけ、そこで待っていておくれ。
逆さまは、左右反転でも上下反転でも同じ「逆さま」。
だけど、日本においては右が「正(順)」に対して、左が「逆」に当たる。左利きは「ぎっちょ」と呼んだりする。
でも、赤ちゃんの動きを見ていたら、みんな生まれて間も無くは手の左右差どころか、手と足の区別も特に無いのではないかと思う。とにかく自由に動かしている。
四足獣の犬に「お手」を教える時、頭部側の片足を挙げるか、人間の手のひらに載せたら成功と我々人間は思っているが、犬にしたら「足の裏を人間の手のひらに載せたら喜んでやがる(笑)」と思っているのかも。
眠れないほど楽しいことも、眠れないほど辛いことも、幸いにしてかまだ未経験なもので、眠れないほど◯◯の体験談は書きにくい。
でも、眠れないことの言い換えで、好きな言葉がある。
「まんじりともしない」である。
「まんじり」は「ちょっとだけ眠る。ウトウトする」という意味で、「まんじりとする」「まんじりともしない」で
「ちょっと眠った」「ちょっとも眠れなかった」の肯定と否定の両方の言葉となる。
「まんじり」って、なんか響きが良くないですか?
カタカナで書くとなんかの魔法の呪文みたいで。
『勇者はマンジリを唱えた!』
『でも、効かなかった!』(笑)
夢は寝てみるもの。
ちなみに、夢は脳が睡眠中に行う情報処理の副産物である。生まれてから現在まで、意識・無意識関係なしに
入手された莫大な情報整理のほんの一部分なので、内容が支離滅裂なのもそのためである。
なるほど、これまで入手された情報整理‥‥では、殺されかけたりケガしたりと言った夢は、一体なんの情報なのか?
もしかして、これって脳からの挑戦状?