ススキ、実家の近所の空き地にわさわさ生えてた。
十五夜の時期になると、おばあちゃんが作ったおはぎと共に月の前に供えられてた。
そういう情景が、何年経った今でも割と鮮明に思い出せる。
ススキと聞くと、「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」という句を思い出す。これもまた、私の記憶にひっそりと佇むものだ。
ススキに花言葉ってあるんかと思って調べた。
ちゃんとあったし、良い意味だった。
活力とか、生命力とかがあるらしい。
確かに生命力はめっちゃあると思う。
じゃなきゃ人の手が加わらない空き地であんなに繁栄できない。
ススキだけでこの一連の流れを辿った。
久しぶりにこのアプリを開いてみたけど、私の記憶の扉も開かれましたね。知識も増えて万々歳。
サンクススキ✌️
自分の部屋は必要最低限の音しかしない。
低く唸る家電の音、空調の音、衣擦れ、私の呼吸音。
私の部屋に必ずいる音はそれだけ。
静寂に包まれたこの部屋は、私にとって充電器のようなものだ。
私は外に出るのがあまり得意じゃない。
なぜなら刺激がありすぎるから。
無数の音、人の波、分からない道程と暗黙のルール。
ひとたび外に出てしまえば、目の回るようなそれらに揉まれて心は摩耗し身体は疲弊する。
シャットダウンを所望する身体を引きずりながら自室に帰る。これは日々のこと。
摩耗した心を労わるように、疲弊した身体を回復するように、私は静寂に包まれた部屋で浅く息をする。
20だったものが80になる。決して100になることはないそれは、私が明日も何とか外に出るための延命措置だ。
思えば、静寂とは音がしないことだった。
でも意識の外側にいる音なら、私の充電を阻害しない音なら、それは静寂に含まれると感じる。
静寂に包まれた部屋とはつまり私の部屋だ。
そして私の充電と延命を担う一大拠点だ。
きらめきどころか悲しみしかない。
iCloudバックアップにデータ残ってるぽいのに、このアプリ内のデータはごっそり消えちゃってる。
大事なものたくさんあったのに。
死にたくなった時だって、
消えたくなった時だって、
ここに書いたことで救われたものがいくつもあった。
バックアップ復元で取り戻そうとしたものより、
復元前に残っていたものの方がずっとずっと大切だった。
なんて大きなやらかしをしてしまったんだ。
数年分の私が消えてしまった。
よく考えずに実行しちゃう悪い癖が出た。
ごめんね私。
こんな形であなたを失ってしまって本当にごめん。
何か別のところに残しておけば良かったよ。
微かに覚えているものもあるけど、さよならだ。
ここに眠っていたきらめきを無にした日。
涙も出ない。