時計の針が進む度に我々人類はまた一つ歳を取る。
人類が誕生してから20万年もたった。
地球の誕生に比べたら、たったの20万年だが人が、紡いで来た歴史は、とても濃密なものである。
時間の中で沢山の過ちをおこしながら人類は時計の針の用に今も進み続ける。
その旅は、戻ることも、止まることも、許されない。
時計の針が進む度に人類の歴史は最新される。
それが人類にとって良いことでも、悪いことでも人の歴史に刻まれる。
そんな時の中を私は、生きている。
偶に気持ちが溢れそうになる。物欲、破壊衝動、愛に悲しみ。それは、私の中の動物としての本能がそうしたいと叫んでいるように感じた。
そんな気持ちを私は、理性で抑え込む。人は、本能に物事を任せると必ず失敗すると私は、知っているからである。
愛し合う二人はKissをする。それがどんな場所でも、愛し合う二人を誰も止めることはできない。
なぜなら、二人のKissは絵画のように美しいからである。
歩く人々は脚を止める。この一瞬を残そうとカメラを構える人もいる。
それほどまでに二人のKissは美しかった。
1000年先も人類は生きているのだろうか?
それとも絶滅しているのだろうか?
生きているのなら人類はもう地球にはいないだろう。
母から巣立つ子供のように宇宙への旅に出ていることだろう。
だが、それは、始まりである。
宇宙と言う無限に等しい世界に人類は挑むからである。
1000年先も人類は、その歩みを止めることなく進み続ける。
私は記憶喪失である。記憶喪失と言っても日常的な動作は覚えている。覚えていないのは、私の名前と私という存在の記憶である。
ある日、私を知ると言う人物が私の元を訪ねてきた。
彼は、記憶が無くなる前の私の事について様々な事を教えてくれた。話を聞いて思った事は、私は、彼と、記憶を失う前とても仲が良かったと言うことである。
彼は、その後、勿忘草と言う花を渡してくれた。
花言葉は、私を忘れないでと彼が教えてくれた。
これは、記憶を失くした私に、早く記憶を取り戻してほしいと言う意味なのだろうか?
記憶の無い私には、分からない。