簡単な話をする。君が私に触れる、私は拒絶しない。以上。これっぽっちの愛の話。泣かないでよ。涙を拭いてもいい?私は君に愛されるに足る?この体で君を抱きしめることは可能?
微熱がある。沈黙がある。肯定を示す。毛布にくるめられる。そのまま抱きしめられる。怒りが空気を震わせる。「二人だけの世界なんてないんだよ」「二人でひとつでいられるわけないんだよ」「都合のいい幸運なんてないんだよ」「都合のいい愛なんてないんだよ」「君はひとりしかいないんだよ」これから一晩かけて熱は上がっていくんだろう。お前は俺を抱きしめて眠るんだろう。お前に移る前に下がってくれればいいが。お前がひとりしかいない幸運は、確かに都合のいいものではなかった。俺たちが共に必死こいて手に入れたものだ。
太陽の下で歩いていける?何歩いけそう?その程度?もう歩けない?お前が笑うたびに考えることがひとつ増えていく。この脚は泥に塗れて感覚がない。疲れている。もう歩けない。そう口に出してしまいたい気がする。口に出してしまえばお前は隣に屈んで泥を払おうとする。そうでなければ見上げて俺の目を見て俺を抱き上げて征くだろう。それであってはたまらないので歩くしかない。太陽の下を。何歩でも。この程度の足取りで。
100均の毛玉取りだがなかなか良い仕事をする。どうしてこんなに毛玉が出来やすいセーターを選んでしまったのか。色だ。春の若草の色をしていた。お気に入りで何度もこれを着て外に出た。だから少し褪せてしまった。もしかしたら、見る人が見ればまだあの若草なのかもしれない。でも私の目には褪せてしまった。春、というものはもう随分と昔に過ぎ去ったきりだ。かつてあった四季は鈍く鈍く均され、この大陸は概ね秋と冬の間のような環境で回っている。こどもたちは私の知っている春を知らないが、時間は日々流れるので、カレンダーは月次捲られていくので、そのなかでかすかな風の変わり目や湿度の蠢きなどを感じ取りながら、こどもたちはこどもたちなりの春を見つけて愛でているのだろう。「ママ」上の子が学校から帰る。鼻を赤くして少し水っぽい声を出している。「ママ、ただいま」もぞもぞと手を動かしセーターを撫で付けている。毛玉ができている。あとで取ってあげなければ。「ママ、見て」手作りのポシェットに手を突っ込んでいる。「ママ、見て」褪せた四つ葉のクローバーがその小さな手にある。
深くお辞儀をしたのである。それが最後に取るべき礼節かと思ったので。助走などつけずそのままその場で地を蹴ったのである。それはスプリングがそこそこ効いた板であったので。落ちていく間のことはわからない。君の顔を見たような気もする。それなら人生で初めて見た幽霊ということになり、人生さいごに見たものも幽霊ということになる。水面に叩きつけられる。骨は砕ける。内臓は破裂する。ようやくすべての正しさと間違いが消失する。