#25『理想郷』
夏に古典の先生が話してたっけ、桃源郷。川を上ったその先に、美しい景色に桃の香りが漂い、争いのない平和な世界が待っていたら、どれだけ素敵だろう。
現代といえば、目まぐるしい社会の変化に抗いようのない自然の猛威。個人の日常1つとっても、中毒みたいにスマホが手放せず、膨大な情報を脳が受け取り続けている。
忙しいって心が亡くなるってことなんでしょ?そんな日々、少しぐらい抜け出してもいいんじゃないかな。ゆっくり本読んだり、ぼーっとしたり、何にもしないのって究極の贅沢だから。
待ってるだけで望んだ世界が現れるわけがない。自分から何かしなくっちゃ。だから皆のために動く前に、まずは自分から救わなきゃね。
#24『懐かしく思うこと』
たまたま読んだパッセージがmonarch butterflyとかいう蝶々についてで、オオカバマダラっていうみたい。ゲームをする彼の隣で呟きながら宿題を進めていれば、あーあれか、と彼が話し出す。
気温の変化によって春には北へ、冬には南へ4000kmを超える距離を世代交代して渡っていく。向けられたスマホに映る画像を見れば、なんだか見覚えがあるけれど、日本では似たような模様の蝶がいるだけで、これではないみたい。
ふーん。いつもは私が勉強とか教える立場なのに。……そういえば彼は昆虫に興味があるんだった。カマキリとか素手でいってたわ。今はどうわからないけど、確かに出会ったときは昆虫博士って感じでさ(どっちかというと爬虫類のほうが好きそうな見た目なのに。ほら、ヘビとか)。なんで忘れてたんだろう。
昔よりずっと背が高くて更にカッコよくなって、でも大きな変化はそれくらいだと思ってたのに。私達知らないうちにだいぶ成長してたのかもしれないね。久しぶりに小さい頃の彼を垣間見えた気がしてなんだか嬉しかった。
#23『もう一つの物語』
ねえ、わかってる?
放課後2人でデートして
手ぇ繋いじゃったりして
仲良くしてるってことは
貴方への想いを
諦めなくちゃいけなかった
そういう子がいたってことよ
私はヒロインじゃないから
相談役の幼馴染もいなければ
王道の展開も起こりっこない
身の程知らずだったのかな
好きにならなければ
あの時ああしてれば
なんて、馬鹿みたい
今日も私は独りぽっち
#22『暗がりの中で』
自販機に寄ってから化学室に行く。ドアを開けて入れば三角フラスコを振る白衣を着た彼の後ろ姿が。実験は順調?おー、おかげさまでな。アイス買ってきたからちょっと休憩しない?ああ、隣座れよ。振り返った彼は私の顔を見るなり眉を寄せたけど、気にせずアイスを半分にして渡す。コーヒー味が染ますなー。その間もジーッと見られていたようでどんな顔をすればいいかわからない。頭をガシガシ掻いたかと思えばため息を付いて、
「何があったか知らねーが、テメーのことだから頭ではわかってっけどやりきれねーんだろ?」
「私はそこまで合理的じゃないからさ。ちょっと今はメンテナンス中なの」
「…オーディション落ちたってところか」
わかってるんじゃん。傷口に塩塗り込まないでほしいよ、まったく。
「別に迷惑かけるつもりないし、話聞いてほしかったから来たわけじゃないよ」
アイスのプラスチック容器をプクッと膨らませて拗ねてみれば、不意に頭を撫でられてびっくりする。別に面倒見のいい奴でもないのに。
「まだ整理し切れてねーだけなのにその気持ちごとなかったことにすんなよ。お前の内面が感情的なのも人間味合っていーじゃねーか」
今日だけな、と言って抱きしめられば涙と抑え込んでいた気持ちが溢れる。
高校生活最後の舞台なんだから私も主演を、と願ったっていいじゃないか。でも結果はいつもと同じであの子の引き立て役。劇は誰か1人でも欠けたら成り立たない。特に主人公の相手役なんて物語を支える重要な存在ってことぐらいわかってる。でも、悔しくて悔しくて。自分が惨めでならなかった。彼に主演を務める私を見てもらえたらどれだけ良かったか。
「まァ助演女優賞間違いなしの演技、悪くねーがな」
は。いつか主演になったら観に行ってやってもいいって言ってたはずなのに。
「テメーにしかできない演技カマしてこいよ。少なくとも俺はファンだぜ」
ヤケに優しいからきっと後日、実験に付き合わされるんだろう。でもいいわ。アンタのために演じてあげる。なんだかんだ長い付き合いで、私をよく知るコイツにはいつも助けられてて、どこに迷っても正しい方へ導いてくれる。だいぶ落ち着いた。
下校時刻になって閉められる門をギリギリで抜けて並んで帰る。実験について独り言が聞こえる。
「てか、いっつもおんなじ女優は飽きんだよ。アイツ部長と付き合ってるらしーじゃねーか」
え、待って、そういうこと?ククッ知らなかったみてーだな、恋愛云々疎いお前らしいわ。疎くないもん。どうだか。
好きだと言わせてくれないのはそっちなのに。大きな目標があるから恋愛とかしてる暇はないんでしょ?応援したいし、できるだけ迷惑かけたくない。きっとこれ以上に甘えちゃうから。
また実験手伝いに行くね。ありがてー、頼むぜ助手様。……助手。あ゛ー支え役は嫌だっけか?ううん全然、喜んで。
助手だって。彼の隣にいられる正当な理由じゃないか。どこまでも付いて行くから、私にもっと知らない景色を見せて。
#21『紅茶の香り』
愛用してるパルファムはいわゆる紅茶香水というやつで、FERNANDAのミルクティーコレクション。ブラックティーとバニラで芳醇な香りを纏えば気分も上がる。毎日のように飲むだけじゃない、それぐらい私に紅茶は欠かせない。
どうも彼もこの香りが好きみたいで、2人きりのときはいっぱいギューっとハグしてくれる。甘くて温かくてホッとする。これも絶対欠かせない。
人って嗅覚の情報は1番忘れにくいんだよ。プルースト効果とかあるしね。だから、もっと私のこと考えて、好きになってね?