バイト終わり。
「す~し寿司寿司す~し~♪お寿司を食べると~♪」
妙な鼻歌を歌いながらお寿司が入ったビニール袋を片手に帰路につく俺。ご機嫌である。給料が入ったので某寿司店のネット予約のお持ち帰りでお寿司を購入したのだ。
さらに帰り道にスーパーに寄ってお酒も購入してしまう。
「フハハ、今の俺は無敵だ!」
右手にお寿司の入った袋、左手に缶チューハイの入った袋を持ち、背中にはリュックを背負って一人でほざく。
とりあえず、今月も生き延びた自分へのご褒美としての行動の第一段階はクリア。後は家に帰るだけだ。
アパートの自室に戻った俺は背負っていたリュックをそのへんに放り投げると、流れるような動きでパソコンの電源を入れた。
給料が入って懐が暖かく、寿司と酒がある。やることは決まっていた。宴の始まりだ。
「さて、フィアー・ザ・ウォーキングデッド、シーズン5の続きを見るとしますか!!」
手早く寿司と酒を机の上に並べると、パソコンを操作してサブスクの動画配信サイトを開いて動画を再生する。
そしてブルートゥースイヤホンを耳に装着し、海外ドラマのイントロを聞きつつ、部屋のカーテンを閉め切り、
「甘だれ~♪んんん~♪」
やはり鼻歌を歌いながら冷蔵庫の中からお取り寄せした高級な甘ダレを取り出す。俺は寿司のエビに甘ダレをかける派なのだ。
ちなみに余談ではあるが甘ダレは卵かけご飯にかけても絶品である。
俺が日本かぶれの外国人なら甘ダレの文字を肩辺りにタトゥーで入れたいぐらいだ。
「……はあ」
溜息しか出ない。いつもの疲弊や将来への絶望から出るものではなく、幸せすぎて……
好きなモノを食べて好きなドラマを見ている。俺にとってこれ以上の喜びはない。
「活〆真鯛……180円……フフ……いただきます……!」
むろん、食べる前に食べ物への感謝も欠かさない。
パソコンモニターのブルーライトだけが妖しく輝く『暗がりの中』で、俺の宴は続く。
本日のテーマ『紅茶の香り』
さて困った。
なにせ俺は紅茶を飲んだことがない。
いや、あるにはあるが、それは高校生の時に飲んでいた『紅茶花伝』だとか『リプトンのレモンティー』だとか、そういった市販のモノであるわけで、本格的な紅茶を口にした経験があるわけではないのだ。なので、紅茶の香りだなんて言われてもいまいちピンとこない。
紅茶風味の飲み物を頻繁に口にしていた高校生の時ですらそんな感じなので、酒とルイボスティーくらいしか飲まなくなって久しい昨今『紅茶の香り』、さあ語れ!と言われても意味不明に近い。
想像で書けばいいのだろうか。「うーん、この鼻にぬけるスモーキーな香りが……」って、それじゃあ、今飲んでる洋酒とつまみのチーズの感想だ。
やはり、ここは思い出に頼るべきであろう。
ということで思い出してみる。
『紅茶の香り』で思い出すのは平山さん。高校生の時に俺が好きだったクラスメイトの女子だ。
べつに平山さんが紅茶臭かったわけではない。平山さんは、たまに俺にジュースをくれた。そのジュースが前述した『紅茶花伝』や『リプトンのレモンティー』だったのだ。だから俺は、いわゆる『ハムの人』的な感覚で、紅茶といえば平山さんを連想する。
「梶くん、お疲れ。あげる、奢りだよ奢り」
昼休み、陰キャが立ち寄らない体育館前の自販機エリアから戻ってきた平山さんが『紅茶花伝』を差し入れてくれる。
陽キャの平山さんが俺のような陰キャに話しかけ、ジュースまでくれるのは、惚れられているとか俺が何らかの脅迫をしているとか、そういうわけじゃない。
いつだったかここにも記したが、俺と平山さんは同じバイト先で働く同士で、スクールカーストの違いはあれど学校でもそれなりに仲がよかったのだ。
女性は男と違っていろいろと気を遣うと聞く。おそらく、同じバイト先で仲良くやってる俺と学校でもそれなりの関係を築いておこうとする平山さんなりの努力だったのだろう。
「おまえ、モテモテやん」
俺の机に『紅茶花伝』の缶を置いて平山さんが去った後、机をくっつけてさもしく一緒に弁当を食っている友達に茶化される。
「そういうんじゃないから……」
満更でもない顔で答える俺。
高校の卒業式の時も、やはり平山さんは『紅茶花伝』を俺にくれた。それも、あったかいやつだ。
「梶くん、お疲れ。皆でカラオケ行くけどくるでしょ?」
「あ、ああ、俺は……」
ちら、と後ろを振り返る。
友達のりっくんとリョーモト、そしてオギノが俺に向かって笑顔で片手を挙げる。この後、皆で家で『スマブラ』をやる予定なのだ。むろん、断ろうと思えば断ってカラオケに行くこともできたが、
俺の心のなかではカラオケに行きたくない方に天秤が傾いていた。平山さんと二人きりならいいけど…
なんだか平山さん周りの陽キャ女子や男子と一緒に俺がカラオケに行くのは怖い。明らかに浮いている感じがするからだ。そういうわけで……
「ごめん、友達と予定があって、へへ……」
ヘラヘラしながら断った。今でも後悔している。『スマブラ』なんてどうでもよかったのに。
「そっか、残念。次あう時は私にカッコイイ椅子つくってね、格安で!」
インテリア関係の専門学校に行くのを伝えていたので、平山さんはそう言って笑ってくれた。
友達に呼ばれて遠くに行ってしまう平山さんの背を見送りながら、平山さんから貰った『紅茶花伝』を飲んで一息つく。俺の記憶に残る最後の『紅茶の香りだ』
平山さん、いまどうすか。幸せであることを願います。
俺は椅子を作らず、カラアゲをパック詰めしてます。
椅子は作れないけど、万が一出会えたらカラアゲはサービスします。
二度と戻らない日を思いながら酒を飲む。ほんのり『紅茶の香り』がした。
この前、とはいっても1年か2年かはたまた3年くらい前、免許の更新に行った。
久方ぶりに朝から満員電車に乗り、芋洗いのように人であふれた状態の車内で前に抱えたリュックを抱きながら心中で般若心境を唱えて無の境地に至りつつ電車に揺られること数十分。
目的地の免許更新センターに到着した俺は、書類に必要事項を書き込み、視力検査と写真撮影などといった諸々の手続きをこなし、誰がなんの為に用意しているのかよく分からないビデオ講習を見るために、教室に向かった。
「えーっと、俺の席は……ああ、ここか……」
皆も気をつけてほしい。歳をとると心の声がダイレクトに漏れる。独り言をつぶやきつつ
指定された座席に腰をおろし、リュックを膝の上にのせて一息つく。
「あー、めんどい、疲れた」
またしても独白を意図せず口にしてしまう。
と、そこで
「めんどいっすよね」
と、隣の席に座っていたヤンチャな風貌の若者が俺に話しかけてきた。
「あ、ああ、うん、はい、はは……やってらんないですよね……」
まさか反応が返ってくるとは思ってもみなかったので、いきなりのことで慌てて、敬語ともタメ語ともとれないような微妙な感じで返答する俺。
「昼より朝のほうが混んでないと思ってたのに人多すぎですよね」
「うへへ……」
ヤンキーふうの子の単純な感想にすら何も返せず愛想笑いで返す俺。社交性スキル0だ。
そして教室に教官が入ってきて始まる、謎のビデオ講習。
未だに1990年代のようなどこか古臭い構成の車の運転についての危険性を孕んだ再現ドラマを見せられつつ、時たま停止ボタンを押して教官の解説が入る。
「ここ、なにが悪いか分かる人いますか?」
「……」
知ったこっちゃあない。
(あー、眠い……)
それどころか眠い。きっと教室+先生という状況は催眠効果があるのだろう。
「寝たらダメっすよ。それで、追い出される人とか、いるって話ですから」
隣席のヤンキーの子に肩をつつかれ、注意される。
「あ、ああ、どうも、大丈夫です。ありがとござす」
とても大丈夫そうではない、うつらうつらした状態で答える。
「だるいなぁ、あと何分くらいなんすかね」
ヤンキーが小声で俺に訊ねる。
「どうだろ、40分くらいじゃないですか」
俺も分からないので適当に答える。
「バリやべえ」
「はは…」
俺もそう思う。
で、どうにかこうにかビデオ座学を乗りきり、何人かの人が帰ろうと立ち上がったので、それにならい俺もリュックを肩にかけて颯爽と立ち上がった瞬間
「あー、今から免許証を渡すので、そのまま座ってくださいね~。帰るのはその後~」
と、教官につっこまれてしまった。
そのツッコミにより、教室の中に10代~60代までの多様性のある笑いが、ドっと溢れる。
「あ、ぐっ……」
俺は真っ赤な顔で席に着席しなおした。
「どこいくんすか」
隣のヤンキーにも、やはり笑われる。
「は、はは、ウケ狙いだよ」
俺の精一杯の抵抗である。
免許証の返却を受けて教室を出る時、ヤンキーに言われた。
「じゃあ、また今度」
「うい、また今度」
『友達』とは言えない間柄だが、大人になってから皆で同じ教室で勉強するという感覚は、なんだか少し楽しい。学生時代を思い出す。
先生の話を聞いていて眠くなった感覚も、そういえば久しぶりなのだ。
また数年後、あのヤンキーや、俺と一緒に帰ろうとしたOL風味のお姉さんやトラック運転手みたいなおっちゃんと会いたいものである。
『行かないで』、お金。
そう願いながらソシャゲに課金してガチャを回す時、人はどんな顔をすればいいのだろう。
さらに、なけなしの3000円を課金して10連ガチャをして目的のキャラが出なかった時、その感情をどのように表現すればいいのだろう。
「ぐあああっ! こんなクソゲー二度とやるか!!」
俺はダメ人間のテンプレートのようなことを言いながら自分の太ももをスパーンとはたきつけた。
「SSRの確率が3%でピックアップが50%なのに全部すりぬけてわかわからん弓使いが出るっておかしいだろ…! 運営に遠隔操作されているのか?」
陰謀を疑ってしまうくらいには絶望していた。
月末、切実に金欠だった。その中で、3000円は俺にとって大金だ。なんの意味もなさないまま泡と消えたが。
お金がないと心が荒む。
今の俺は飢えた虎のように凶暴だ。
だが、こんな感じでいいとも思う。なぜなら、金があれば俺はきっと際限なく調子にのるだろうから
遡ること、十年以上前。
父さんと母さん、兄と俺と弟の家族五人で海へキャンプをしに行った。
海に着くと父さんと兄は『ここは俺達の陣地だ!』とばかりに砂浜と陸地の中間地点にパラソルを立て、その場所にテントを張る作業に入る。母さんは昼食の準備だ。
そして俺と弟は何を手伝うでもなく海の家の更衣室で水着に着替えると手早く浮き輪を膨らませ、それを担いで海へダイブする。今になって思うと、12,3歳そこらの俺が幼い弟を連れて二人きりで遊泳していたのは、ちょっと怖い。よく事故が起こらなかったものだ。たぶん、俺がしっかりしていたからだろう。おそらく。
まぁ、そんなことはどうでもよくて、とにかく……海で遊んで疲れて夜の8時くらいには爆睡してしまった翌日。
ザァーザァーと、テント越しに聞こえてくる波の音……
俺は、その音で目を覚ました。
テントの外に出て空を見上げ、俺は目を細めた。そこには建物や山に邪魔されることのない『どこまでも続く青い空』の光景が広がっていた。今でも鮮明に思い出せる。幻想的で、清々しい青空だった。
その後、視線を戻した先には、鍋をカセットコンロの火にかけ、おたまのようなもので鍋の中をかき混ぜている、どこまでも日常的な感じで朝ごはんを作ってくれている母さんの姿があった。
「おはよう、母さん。それ朝ごはん? なに作ってるの」
「おはよう」
母さんはニコっと笑って挨拶を返すだけで、俺の質問に答えてくれない。
昨夜したバーベキューの残り物で作った朝ごはんの豚汁と昨日の残りの米で作ったおにぎりを食べ終えた兄と俺と弟は、昨日あれだけ海で遊んだというのに、飽きることなく再び海へと向かう。
浮き輪に身を任せてボケーっと海面に浮かびながら青い空を眺めつつ
「……兄ちゃん、俺、もう空手やりたくない」
こんな機会でもなければゆっくり話すこともないので、兄に人生相談をもちかける。
「……ブハッ! めっちゃでかい魚おったぞ! めっちゃでかいやつ! やっべぇぞ!!」
とんでもなく高いテンションで素潜りから戻ってきた水中ゴーグルを装備した兄が、俺の浮き輪に掴まって言う。俺の話など聞いちゃいない。
「空手、やめたいなあって思ってるんだけど……」
いちおう、もう一回伝える。
「……なんで?」
ゴーグルをおでこまで持ち上げ、真っすぐに俺を見つめて兄が聞く。
「めんどいから」
本当のことを言うと、どれだけ練習を頑張っても、兄のようにはなれないと自分で自分の限界を悟ってしまったからだ。だけど、本人を前にして、その真実だけは口が裂けてもいえない。俺にもプライドがある。
「そっか。じゃあ俺から父さんと母さんに言ってやるわ。でも、もうちょっとだけやって黒帯だけは取っとけば? お前だったら余裕だから。取っとけば受験の時、資格の欄もうめられるしな。って、そんなことより、めっちゃでかい魚おるから! 見てみろって!」
言って、俺の手を引っ張って浮き輪の上から海へと無理やり引きずりこむ兄。
いつも近くにいるのに、永遠に手の届かない高みにいる兄は俺にとって『どこまでも続く青い空』そのものだ。
ともあれ
急に海中に引きずり込まれたあの時の俺は溺れてしにかけたので、今でも根に持っていて、帰省時は兄に対して必ずこの話を持ち出して恨み節を述べる。