もしもタイムマシンがあったなら、
過去の色々な日付に戻り、
関係各所に謝るだろう。
あの時のあの言葉は悪意があってのものではなかった。
許さなくてもよいのだ。ただこちらの意図を知ってほしい、と言うだろう。
きっと、誰も彼も口を揃えて、
「いやそんな、謝らなくていいから……」
と面倒くさそうな顔をして、そう言うのだ。
それでも私は、きっと言わずにいられないのだと思う。
そしてある時、子供の頃の自分に会って、
「君は幸せだよ。でもその幸せは周りのお陰なのだ」
と、きっと言う。そして、幼いながらも賢い私(希望的観測)は、適当に頭を縦に振る。それを私は愛おしく思うのと同時に、どこか腸が煮えかえるような気持ちになるのだ。
本当は、タイムマシンなど要らない。
あった事で生まれる、人間関係の崩壊が何よりも怖い。
それは、私と誰かとの関係でもあるし、
私と、「私」との関係性の話でもあるのだ。
楽器が欲しい。
今、とにかく楽器が欲しい。
何だかんだで10年以上の付き合いになってしまった楽器だ。
名前をコントラバスという。
コイツがまあ図体がでかい。
しかも低音でよく響くので、近所迷惑にもなりやすい。
オーケストラに入ってこの楽器に触れ、
大学に入った後もなんだかんだジャズを始めてしまい、
今の今まで弾き続けている。
中学の頃、
「小柄な自分がコントラバスやったらカッコいいのでは?」
……という至極浅はかな理由で始めた、
この取り回しもしづらく運ぶのも一苦労な楽器を、
まさかこれほど長く続けることになるとは思わなかった。
結果的に、自分を自分たらしめているアイデンティティの
一番大きなところにこの楽器と、音楽の存在があるので、
なかなかどうして分からないものである。
未だに弦の1本を、硬くなった指の腹で弾き音を聞く度に、
中学でこの楽器を始め、初めて弓で弦を震わした時の、
部屋全体に低い音が舞うような、地響きの感触を思い出す。
子供の頃、母に自分の名前の由来について聞いた。
パッと見では意味が分からない単語の羅列だったからだ。
母は、
「優しい子に育って欲しかったから」
と言った。
「私の名前の漢字って『優しい』って意味なの?」
「いや、違うけど、なんだか優しそうじゃない」
「…?」
随分適当な口上であるが、今思えば、子供相手に分かりやすい説明をした結果なのだろう。本当はそんなことを考えなかったかもしれないが、少なくとも私の名前は、熟考して練り出されたものなのだろうということが、今なら分かる。
というのも、私の名前の画数、めちゃくちゃ縁起が良いのである。恐らくこの画数にするために、色々捻り出してくれたのだろう。
お陰様で今とても幸せである。