「きっと明日も」のあとに続くのはどっちだろう
良いがことある、なのか
どうせろくなことがない、なのか
その時の心持ちで左右される
できるなら良い方を取りたいが、
毎日そう思えるようになるのは
大人になってもとても難しい
別れ際に明るい気持ちでまたねと言える
そんな相手が最後にいたのはいつだったんだろう
社会人になり地元を離れ、一人暮らしの部屋の中
スマホ片手に物思いに耽る
職場との往復 他人と深く関わらず 淡々と繰り返す毎日
今も毎日会う人はいる
だが、またね!と相手に笑顔で言い合い別れ、
明日を楽しみに生きていたあの頃の
軽やかで晴れ晴れとした気持ちはもう何年も経験していない
旧友と会っても次会えるかはわからない
ライフステージを理由にどんどん疎遠になっていく
新しい人と出会っても、また会いましょう!となることはあまりない
あの頃の感覚や感情を懐かしみ
あれは眩しい青春だったのだと今になって思う
花畑を最後に見たのはいつだろうか。
普通に生活していて出会うこともない。
どこかの誰かの投稿で見かけるくらいの存在だ。
自分から意を決して行動しないと、それには出会えないのだ。
花自体も誰かの家の軒先や駅前で少し見かけるくらいで、自分で花を買うことは全くない。
昔、国語の教科書に「現代人はコンクリートジャングルで生活している」と書いてあるのを読んだことがある。
田舎育ちの私はまさか、と笑っていたが
大人になった今、まさにそういう生活をしている。
花を愛でる、花を買う、
そんな余裕がいつのまにか失くなってしまった。
そんな自分に悲しくも仕方がないと言い聞かせている。
命が燃え尽きるまで何かに抗う
命が燃え尽きるまで責務を全うする
命が燃え尽きるまで誰かに何かを伝える
命が燃え尽きるまでやりたいことをやる
ああ、人間そう生きられたらとても幸せなのかもしれない。
そう思える対象があるのは、良くも悪くも充実している
今を生きているということなのだろう。
私はまだそういう対象がなく、自分を持て余している。
最期の日に後悔することを恐れて、
そうならないようにと先回りすることは得意なのに。
予防線を張るばかりで充実感は、ない。
空しい、虚しい。
そんな私でも大切な人たちがいる。
新しくできた家族だ。
その人たちのために生きたいと思う。
でも、それ以外に何か欲しいと願ってしまう自分がいる。
命が燃え尽きるまでにやり遂げたいことを見つけたい。