私の朝は忙しい。数年前君がいなくなってからずっと休まず働いている。そんな私にも毎日のルーティンというものがある。今はいない君が唯一残していったこのセーターに行ってきますと挨拶することだ。今はいない君のセーターに「行ってきます。」なんておかしいかな
「行ってきます。」家の中にはドアが閉まる音が響いた。
「セーター」
さようならって言わなきゃな。(やっとらくになれる)
この世界にもこの世界の人々にも。(この息苦しい、生きにくい世界からも私をいじめてきた人たちとも)
もう会うことはないのだから。(もう我慢しなくていいのだから)
私はこの世界からいなくなる。(やっとこの世界から抜け出せる)
私は明るい世界へおちていく。(これでやっと楽になる)
「楽しかったなぁ。この世界。(息苦しかったなぁ、この世界)」
「ありがとう(さようなら)」
「落ちていく。」
ずっと喧嘩ばっかしている私の親は夫婦と言ってもいいのだろうか。好きで結婚したはずなのにやっぱり時間がたつと人はだんだんと興味やその人やものにあった愛を忘れてしまうのではないだろうか。何でずっと夫婦として生きていけるんだろう。
私の親(夫婦)の話
「夫婦」
ねぇ、まだ行かないで
空を飛んでいる美しい一羽の鳥にむけて言う
この鳥とは自分が小さい時から時々会っていた。
人見知りの私にはその鳥だけが話し相手でもあり、友達だった。
だが鳥は、季節が変わると長い旅をしなければいけない。
毎年この時が来るけれどたった一人の友達がいなくなってしまうのはやっぱり悲しい
私をおいて 『行かないで』 鳥さん
(たった一人のお友達)
あぁ、いつからだろう。
自分ばっかり否定され続けてきたのは
あぁ、いつかはだれにも否定されないような
青くすみわたる空を自由に飛べる鳥になりたい
どんなに大きな夢を見ても否定されないような
『どこまでも続く青い空』
に、はばたけたらどんなにいいのだろう
私は今日も思いをのせて空を見上げた