たかなつぐ

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3/1/2023, 1:52:06 PM

 テーマ『欲望』

 今日の夕飯は、大好物のビーフシチューだった。
 米とブラウンルーを自分好みの配分で口に運び、咀嚼する一回一回を味わい尽くす。これぞ至福の時間。柔らかく煮込まれた牛肉が玉ねぎの甘さと絡み合い、じゃがいもの舌触りはクリームのよう。すべての食材が調和した最高の一皿だった。シェフ──もとい母は俺の表情から息子の食没を察し、さっきからニヤついているが今はそんなことを気にしている場合ではない。とにかく、嗅覚と味覚と舌触りに全神経を集中させるのだ。
 ……気づくと、皿は空っぽになっていた。
 そんな馬鹿な。あんなに大切に味わったというのに、もう終わるというのか。視界が眩む。鍋の中はもう空になっていた。五回もお替りしたのだから当然だ。母が食器を下げようと腕を伸ばす。俺は反射的に自分の前に置かれた皿を庇った。
「……いや、まだだ!」
「なにがまだなのよ」
「この皿にはまだ、ビーフシチューの意志がこびりついている!」
「あんた、まさか……」
「あぁ、そのまさかだ」
 禁忌であることはわかっている。だが、今の俺にはこうしないではいられないのだ。俺は皿を顔面へと持っていき、舌を思い切り伸ばして最後の残滓すらをも舐め取ろうとした。
「やめなさい、行儀が悪い!」
 皿はあっけなく母に奪われてしまった。
「あ、あぁ……俺の、最後のビーフシチューが……」
「また作ってあげるから、楽しみに待ってなさい」
 母が手際よくを洗い始めた。茶色い油汚れが落ちる様子を横目に、俺は後ろ髪引かれる思いでとぼとぼとリビングを後にする。
 そのとき、シェフ母が俺の背中に向けて天啓を授け給うた。
「明日の夕飯はお好み焼きよ」
「ひゃっほーい!!」
 ビーフシチューは過去のもの。明日のお好み焼きへ向かってさぁ行くぞ!
 右の拳を振り上げ、俺は意気揚々と自室へ戻っていった。