落ち込んでいる人にかける言葉は2種類ある。
「泣かないで」
「泣いていいよ」
私は人生で「泣いていいよ」って2度言われた。
1回目は高校受験がダメだった時に当時の担任の先生に
「本当によく頑張った。今まで泣くなよって言ってきたけど今日はいっぱい泣いていいよ。」
って言われた。
2回目は高3の最後の夏インターハイ予選で負けたとき。コーチに「今日はいっぱい泣け。」って。
もうあとがない時、これでもう終わりな時、
人は「泣いていいよ」って言う。
でも私はこれに反対。自分が言われてわかった。
「泣いていいよ」を絶望の言葉にしちゃだめだ。
私の中で「泣いていいよ」が絶望の言葉だから、
ちょっとやそっとの悲しいこと、辛いことで泣けなくなった。
当時の担任の先生のおかげで先生を目指すほど尊敬しているし、コーチだって今でも交流があるくらい2人とも大好きな人。
だけど私は「泣かないで」じゃなくて「泣いていいよ」って言える人になりたい。
泣くことは悪じゃないから。
泣けるって素晴らしいことだから。
心は泣いてるのに涙が出ないことほど
辛いことはないんだよ。
街を歩けばクリスマスソングが流れてて
イルミネーションがあって
お店のショーケースも赤と緑でキラキラしてる。
冬の始まりを感じる。
冬は人肌が恋しいって言うけど
それほんとだなぁ。
周りのカップルが羨ましいし
良い感じの男の子ができたって話も聞いた。
友達の幸せな話聞かせてくれるのすっごい嬉しい。
だけどちょっと刺さったりする。
口では「めっちゃいいやん!私まで嬉しい!」
ってちゃんと言えるのに、
心では「なんで私は幸せになれないの?何が違うの?」って思っちゃう。
そんな自分が嫌になる冬の始まり。
サンタさんみたいになりたい。
子どもたちの幸せのためにって寒い中幸せを配る人。
サンタさんに憧れる冬の始まり。
親からの愛情は小さい頃から十分すぎるぐらい貰ってきた。
毎日「大好きだよ」って言ってもらって
ご飯も作ってもらって
やりたいって言ったことも全部やらせてくれた。
そして何より寂しくなったら
「ママ、ぎゅーして」
って言えてた。
いつの間にか母親の背を抜かして、
自分の遊ぶお金くらいは稼げるようになって、
何も変わらないのに18年生きたら
今日から大人ですって切り離されて、
ほんとはあの頃から何も変わってないよ。
だから寂しくなっても夜1人で泣いてたりするの。
親の言うことが全部正しいわけじゃないって
私も大人になってわかるようになったから、
反抗したり、イラッとしたりすることもある。
でもやっぱりあの頃が恋しいよ。
親がいなくなるのが怖いなんて小学生みたいだけど
やっぱり怖いよ。
まだまだずっと長く長く一緒にいてね。
私も両親みたいに大好きな人にたくさんの愛情を届けられる立派な大人になるから。
せめてそれまでは。
微熱、急に私が弱くなる。
幼稚園の頃から周りの同級生よりも少し大人で
先生たちからは心配になるくらい良い子と言われて
学級委員に先生から指名されて
小中高と部活で部長や副キャプテンと役職に指名されて
友達からは優しくて頼りになると言われ続けてきた。
だから私はこうじゃなきゃ私じゃなくなる。
そうやって思い込んで、強がって、自分はなんでもできる、できなきゃダメって生きてきた。
微熱、頑張ろうと思えば頑張れるし
寝ときたいといえば寝ときたい。
でも私は弱いから頑張ることしかしらない。
絶対そんなことないのに、
こんな微熱で休んだらどう思われるんだろうとか
変な被害妄想で結局頑張る。それしかできない。
もういいよ。
弱くても良い。
あなたがあなたでいれば良い。
自分が求めてるから他人にはこんな言葉をかけられる。
自分が求めてるから他人の欲しい言葉がわかる。
自分は求めてるのに自分にはその言葉をかけられない。
結局一番弱いんだよ、わたしが。
意識が落ちていく狭間でこれを書く。
今日も1日頑張ったと褒められる日もあれば
今日のあの一言はあの子を傷つけたかもしれないと
1人反省会を開く日もある。
今日も、高熱にうなされながらフリック入力。
こんな時くらい休めよときっと思われるだろう。
でも、病気の時ほど
孤独で、辛くて、世界が真っ暗に見える。
誰かと繋がりたくて
いつも以上に明るい文面でLINEを返し
書く習慣を開く。
さぁそろそろ落とそう。
ばいばい意識。