私はスリルが嫌い。
でもちょっとだけ悪いことをするってみんな通る道。
立ち入り禁止のところに入ってみるとか、
学校にスマホを持って行くとか、
先生がいないから掃除をサボるとか、
昔からそういうのが苦手な子だった。
俗にいう「静かにしーや!」キャラの優等生。
先生に怒られたくないし、
怒らなきゃいけない先生が可哀想とも思ってた。
ドラマやアニメの世界では、先生の味方につくような
「静かにしーや!」キャラはとことん嫌われる。
優等生ぶってるって。
でも私はそうじゃなかった。
友達に恵まれた。
一緒に悪いことはしないよってスタンスの
私を嫌っていじめるんじゃなくて、
一緒にしないの分かってるから、
私と一緒にいる時は悪いことをしないって
合わせてくれる子ばっかりだった。
だから私も優しくなれた。
今思えばきっと、
優しいって今も言ってもらえるこの性格は
幼少の頃の優等生キャラだった私の周りにいてくれた
たくさんの友達のおかげだなって思うよ。
翼があったら必ず飛べるとか、
足があったら必ず歩けるとか、
それって違う。
女の子だからおしとやかとか、
男の子だから強いとか、
それも違う。
優しいって言われるからいつも優しくしなきゃとか、
頼りになるねって言われるから自分でやらなきゃとか、
それも違う。
全部全部違うし、違くていい。
他人から見てわかることが全て正解なわけない。
飛べない翼も、
歩けない足も、
かっこいい女の子も、
優しい男の子も、
優しい人のわがままも、
頼りになる人の弱みも
全部あっていいし、無くちゃダメ。
みんな居ていいし、居なきゃダメ。
全部受け入れたいし、知りたいって思う。
ススキの花言葉は「活力」「生命力」。
ススキは暑さや寒さにも強く、環境に馴染みやすい植物らしい。
ススキみたいな人っていないと思う。
世界中の人に会ったわけじゃないから分かんないけど、いなくていいと思う。
別に強くなくていいし、どこでも馴染まなきゃいけないわけじゃない。
弱くても支え合えばいいし、馴染めなくても別の居場所がきっとある。
絶対1人になんかならないから。
ちゃんとあなたの名前を呼んでくれる人がいるから。
その人たちのことを忘れて、1人だって悲しむことの方がよっぽど悲しいからね。
なんで嫌な記憶はこんなにも強く強く脳裏に焼きつくのだろうか。
小中高と学生時代を過ごしてきて、友達もいたし、先生にも信頼してもらってたし、楽しかったはずなのにふと思い浮かぶのは辛い記憶ばかり。
あの頃の私のイメージはきっと優しくて、何してもいい人だったんだろうな。私をうまく利用してきた人たくさんいたし、利用しようとしているんだろうと分かっていながら関わってた人もいた。
それでも、私を利用した人はみんな楽しそうに笑ってるからそれでいいと思ってた。
でも今日、大学で出会った友達が言っていた言葉にハッとさせられた。
「優しすぎるのって悪い人を引き寄せるだけ。幸せになるためには優しすぎるのは悪いことだと思う。」
幸せになりたいなら自分で掴みに行かないとダメ。
いいよいいよって受けてるだけじゃダメ。
決めたよ。
私の脳裏にチラつくあの人たちに負けないくらい幸せになる。程よい優しさととびっきりの笑顔で。
私は他人と自分との境界線が薄い。
他人の思っていることがわかってしまうが故に悩んでそうだなと思ったら声をかけてしまう。
そして自分の事かのように一緒に悩んで辛くなる。
他人のこと考えて辛くなるなら辞めたらいいのに
そんなん考えすぎやろ
自分で蒔いた種やん
そう言われてしまうことも多かった。それでも見て見ぬ振りをしてもその子のその後が気になってしまうからダメだった。
でも1人だけそう言わなかった子がいた。その子は
考えても他人のことなら意味ないとか言う人もいると思うけど、もし自分が悩んでるときこんなに一緒に悩んでくれる人がいたら嬉しいもん。立派な特技やろ。
と言った。
意味のないこともこの世にはたくさんあるんだと思う。
でもその意味を自分が見つければ、きっとそれは意味のあることになる。
意味のないことの意味を見つけられる人。そんな人に私もなりたい。