浅草とウヰスキー。
男の終着駅と黙り込む為に飲む酒。
大事なものをなくして ...
それは、あしたを欲しがるきもち。
なのに死んでねえから、未だ、だから、
着けようったって着かねえから、
口開いたままささえてるばっかだから、
空、わらってるわ。
水の底に沈んだ壊れているらしい時計の針みたいに往生際が悪いというか女々しいというか .... で、水圧かなぁ ... 水流かしら ... 短針も長針も秒針も全部吹っ飛んだか何かで無くなっていたりする水の底に沈んだ壊れている風の時計を念うとほっとするんだよね .....
時間よ、止まれ?
動いてたの?
動いてる .. の ... ?
耳 ... 塞いだりしてます ... いま、ジブン。
不倫てぇ〜のは夜のカーテンだと思う。
開けなくていいんだよ。本当は。
開けない方がいいんだよ。本当に。
眠れなくなっちまう。
それを、開けちまうから、堪らなくなって、飛び出して人の道を外しちまうんだよ。
夜景なんざ、夢の中だけで見るがいいのさ。
もうすぐ死体になるような気がする。
もうすぐ ... 仮にそれは5日後であれ30年後であれ私にとってのもうすぐという意識であり ... 逆に、何打って変わった生涯でなくでも今私がもうすぐという感触を得ている事を私自身が主旨としているのだろう。
死体になる日まで何の期待も欲望も無いという場合なのであろう。
人は死を肯定してくれる瞬間を探し迷いながら日を捲り続けているのだと思う。
若い日、死は面前に無いが時という時を重ねては重ね老いも深くなれば気がつく事がある。
幾つもある。気になる物事を気にならないように施し務める事の連結というだけなのであると気付く。此れに恋も同じ。逆に愛はそうした感触また感情の全て削ぎ落とされた状態をいうのかも知れない。肌を滑る指先が誘う悪戯のような悦楽感を真実の愛は汚らわしさと捉えているのだと私は念う。愛は浄らかなる真水の如しものなのであろう。甘ければ毒。苦くても辛くても残念ながらやはり無論毒。愛は酸素のようでもあろう。無味無臭であってこそ愛だ。
もうすぐ死体になるような気がする。
それは私がこの世の一切に興味の悉くを失ってしまったからだ。
欲望の成れの果てという向こう岸でなかっただけ有難いが違う見方をすればそちらの方が気楽というジャンキーな幸せに包まって生きるという事を滲ませ誤魔化せられ続けられるのかも知れない。但、私はそういう得意になるオオバカヤロウが一番嫌いなのである。本当は世の中の為になり最も他に迷惑を掛けないのはそうしたオオバカヤロウなのだが私は一番嫌いなのである。
私はもうすぐ死体になるのだと思う。
私はこの世の中がきっと今、誰よりも嫌いなのだと思う。
この世の中に在って求めるものは何一つ無い。
唯一つすら無いのだ。