「今一番欲しいもの」
自分を守ってくれる人
「私の名前」
毎日のお題の件なのですが
どなたが考え、提案してるのでしょうか。
「私の名前」で書けって言われても
難し過ぎて書けません。涙
「視線の先」も「私だけ」も
難し過ぎて書けません。
余りにも難しいから
お題を確認した次の瞬間
速攻アプリを閉じちゃいます。涙
え?苦情が言いたいなら問い合わせの方に?
しかも件名にはご自身の名前を書いてって?
m(_ _)m
お言葉を返すようで恐縮ですが
拙者は名乗る程の者ではございません。
「私だけ」
・・・じゃない。
辛いのも苦しいのも、みんな同じで、みんな一緒。
「遠い日の記憶」
人生50年も生きていると
大体、遠い日の記憶になるもので
語り出したらキリがないほど
沢山の思い出がありました。
幼い頃はSLEで学校には行けず
入退院ばかりの毎日でした。
小学1年生のプールの授業後、突然の高熱
解熱剤で下がったと思ってもまたすぐ上がり
風邪と言われても風邪薬が全く効かず
原因不明の寝たきりの日々が半年以上続きました。
SLEと診断後に点滴でのステロイド投薬
その影響で驚くほど太り
両頬は真っ赤でまん丸で
痛みと熱の苦しさから
当時は担当看護婦さんに辛く当たる日々でした。
でも、退院する時は妙に寂しくなったっけ。
クラスメートから千羽鶴の贈り物
それを担任の先生が病室まで届けてくれたんだけど
正直、クラスメートが誰なのか?
私には全くわからなかった。
そんな長い闘病生活の中で
食いしん坊な私らしい出来事を
今も鮮明に覚えている。
ルンバールという検査で全身麻酔をし
深い眠りから覚醒した後
母が私の頬を撫でながら泣いていた。
何故、母が泣いているのか
その時は私にはわからなかったけど
眠りから覚めて開口一番
「お腹空いたからお寿司が食べたい!」
と、精一杯のわがままを投げ、
そしたら母が売店で海苔巻きを買ってきてくれて
その海苔巻きが美味しくて美味しくて
とても嬉しかった事。
無我夢中で食べてる私を見て
母は泣きながら笑っていた事。
あれから軽く40年は経過して、
自分が母親の立場になり、今振り返ると
私には計り知れないほど
母は辛く悲しかっただろうな。と、
昔は医療が発達していなかったから
SLEで死の淵に立たされた事が何度もあったけど
「今夜が峠」と言われる度に
母はいつも号泣していたそうで
葬式の準備を手配していた時もあり
だけど、目が覚めるといつも私は
海苔巻き食べたいって
母を笑わせていたそうで。
お母さん、私を助けてくれてありがとうございました。
病気じゃなくても年をとれば
いつかお迎えが来る日が訪れるはず
その日が来たら迷わず最後の晩餐に
胡瓜の海苔巻きを食べたいと願う。
そして絶対、母と同じお墓に入りたいと思う。
そんな遠い日の記憶を
文字に起こして書いてみました。