常世たるもの如何にして常世かを考えたことを無かろうか。如何なる世の破滅の危機においても新たに世が復活を迎える連鎖を繰り返しているのだとすれば何を思うか。恐れることは無いこれは自然なことであると私は思う。世は常に見られていると書き、常世と読むこともできよう。
恐る恐る幕を開けるかの如く静々と夜が明ける頃、鳥は歌い、草葉に雪が積もり、川もが段々と光沢を出し波紋を浮かべている。今日も今日とて清々しく感じるこの尖っていながら、心地好く体内に入(い)る涼風は爽快でありながらも物寂しさを感じさせる。
寂しさとは実に苦痛で、感覚をも失った悴んだ手のひらのように痛くじんわりとしているのだ。然しそれは時として動力源になる。寂しさの中にその寂しく思う「対象」を追い求める気持ちが潜在しているのだ。
追い求め、手に入れたその時にはそれはやがて爽快となるのだ。
私は今日もこうして雪を眺め余韻に浸っていたのである。
永遠たるものこの世に存在するのだろうか。
花は咲き誇り、軈て萎れ、ついには枯れ落ちるだろう。そんな永遠たりともない世界で花言葉というものが存在する。「永遠」という言葉を持つ花は多数存在するのである。その花達の中で君が綺麗に思うもの、惹かれるものを選び、花束にしよう。そしてその数の分「永遠」に近づけるであろう。
仲間
「君たちほんと仲がいいよねぇ。」
そう言われ慣れたかのように今日も友人と過ごす私は、今日もため息をついた。
もちろん友人には感謝している部分もある。だがそれ以上に言い争っている私はとても仲がいいようには自分では到底思えないのだ。私がため息をついているのを見た友人はきっと私にまた、なんだよとでも言いそうにしていたので少し席を外すことにした。私は教室を出て、左右に引ける窓の左側の半開きになっている方を右側の最後まで締まりきった方に合わせるようにバタンと開けた。冷たくて心地良く吹きかけてくる秋風は落ち着かせながらも.......(未完成)
君は太陽のようにまぶしい光を放ち、
君は何も映さずひたすら黒く闇に染まっている。
そんな君の「狭間」はどんなものだろうか。
きっと、暗闇をそっと照らす月のようであろう。
そう君を思いを巡らす私は、君に映る兎である。