世の中の不条理に、産まれてきた、生きている意味を問う。物心着いた時から世の中の不条理に怯え傷付いてきた。この世は真面目に誠実に生きている人が損をして、横暴に狡く生きている人が得をする。子供の頃は周りの悪事に声を上げることが出来なかった。私の中の正義が疼く。大人になり、少しずつ、声を上げることが出来るようになった。真面目に、真剣に願う、この世の全ての人が幸せに生きられますようにと。
素敵な庭のある大きくはないけれど愛のある戸建。子供は2人。全てを包んでくれる優しい愛する夫。穏やかで幸福に満ち溢れた妻の微笑み。
理想はやがて現実に。
ずっと孤独だった。私が願った希望が叶った。
広く素敵な庭のある大きな戸建。全てを包んでくれる優しい愛する夫。でも、私たちには子供はいない。
この数年どれだけ涙を流しただろう。泣いても泣いても涙は溢れて止まらない。やがて体の水分が全て流れ落ちた時、この人生に自ら幕を下ろす。
大きく素敵な庭のある戸建は私の牢獄となった。どこにも行かない。どこにも出掛けられない。愛するあなたが作ってくれた私の居場所。ねぇ、私の願いを全て叶えてくれないの。
昨年、夫と近所の城跡公園に初めて桜を見に行きました。田舎の小さな公園なのに多くの花見客で賑わっていました。桜が咲き乱れ風が吹くとチラチラと舞います。暖かく晴天でとても気持ち良く、みんな幸せそうで、その場の光景は平和そのものでした。私たちは小高い場所にあるベンチに腰掛け、近くで買ってきたお惣菜を広げて少し遅いランチを楽しみました。家族連れで子供たちが駆け回っている風景、中年の男たちだけで東屋を占領して昼から酒盛りをしている騒ぎ声、女性1人で来て花びらの散る桜の下で目を閉じる心情、男性1人で夢中で桜にカメラを向ける羨ましさ、老夫婦がすぐ側の小道をゆっくりゆったりと歩く和やかさ、すぐ隣でお団子を美味しそうに頬張る最愛の夫。全てが思い出されます。あれから一年、とても辛い現実を経験し、私たちは今揺れに揺れています。今年もまた桜の季節がやってきます。つい先日夫が1人で公園に桜の様子を見に行って来たと言います。まだ1割咲きくらいかなと。また桜を見に行こうよと。私は、夫とお出掛けができなくなりました。あんなに楽しかった夫とのお出掛け。「行きたい」と心の中で思いましたが、口には出しませんでした。何も言わない私に夫は悟り、何も言いませんでした。「来年もまた来ようね」と言っていた去年。今年の桜はいつ満開になるのでしょうか。