昔のヒトからみたら、変な小さな板みたいなの耳にあてて、それで遠くのヒトとしゃべってるとか、今度はそれを相手に向けると、ラファエロも顔負けなそっくりの絵ができてるとか、もう魔法以外の何ものでもなくて、ベルナール・ギーが馬車に鉄の乙女人形載せて乗り込んでくるレベルなんだけど、結局今ではそれは普通の技術。
ドラえもんじゃないけど、こんなことができたらいい、というイメージを持ち続けることが、一番重要なステップなんだと思う。
(同じくらいに、こんなことをやるヤツは嫌だ、と思い続けることもすごく重要。)
虹をよく見かける時期と、あまり見ない時期とがあって、これは虹が出ている機会が増えたり減ったりしているわけではなく、空の虹に意識が向くか、そしてそれを覚えているか、とかのこちらのコンディションの問題なんだと思う。
なので虹に意識が向く、一緒に見ている相手にも意識が残っている、そしてそれを大切に覚えているような、いろんな条件がそろった相手じゃないと、その虹は忘れられる。
そうだよな、天翔けるというと神か魂が空を飛び回ることなので、そこからさらに夜空を翔けるとなると、鳥も夜中は飛ばないし、蝙蝠か夜間飛行の灯火とか?
むしろ枯れ野を飛び回る方の「夢」なんですかね。
実はエレベターに乗ると気圧がかわるからかおならがしたくなることがよくあって、誰かが乗ってれば迷惑をかけるし、さすがに音バレするから控えるんだけど、特に人が乗っていなかった時、ひそかに良くない想いが頭をよぎることがある。
時間よ止まれって、もしも自分で止められたとしても、自分も止まっちゃうんだから、そもそも意味がない。
だいたい、時間が止まったら、記憶も時間が動き始めるまでスキップしちゃうので、止まってたのかどうかが分からないはずだし、だから分からないだけで実は時間はちょいちょい止まっているのかもしれない。
他者の時間だけが止まって、自分の時間は通常営業なんて、蟲のいい話がそもそも無理。