ココロ...
ひらがなでこころというと、まずは漱石の『こゝろ』で、漢籍もいけて漢字大好きな漱石がわざわざ平仮名にしたあたり、しかも平仮名にして心の優しさとか暖かさを表現したわけでもなく、むしろ読者が追っていくのは業の深いヒトの心のもろさ、だったような気がする。
では、カタカナでココロというと、ちょっと思い浮かばなくて、あ、そうかアニソンが好きな方はココロオドル?
人工生命体にもしも心が生まれたら、その論理的で合理的で調和もプログラムされた心の上位互換は、ココロと呼ぶのかもしれない、知らんけど。
遠く?
遠く...どこまでも遠く...
流れる河に?
旅、って目的とそのための移動に分かれているわけではなくて、移動そのものも楽しい旅だと考えていて、移動の過程にも楽しいことや、知らなかったことはたくさんあるし、目的のみを重視してそれを空にしてしまうのは、とてももったいないんじゃないかとも思う。
じゃないと、しっかり準備して行ってみたらマーライオンだった、みたいな展開のときに寂しくなってしまうけど、でもいろいろ調べて、飛行機に乗って、マレーシアの街や人たちを見て、美味しいものでも食べたらそれで全然十分なんじゃないのか、というかたとえ美味しいものが外れだったりしても、それはそれでとても楽しい。
多分これって、旅行だけじゃない。
まだ知らない君に教えてあげたい。
サッポロ一番塩ラーメンに豆乳を入れると美味しい。
(ちょっとクラムチャウダーみたいになります。)
ただひとりの君へ
安心していい、誰もが生まれときはひとり。
誰でも死んでいくときにもひとり。
一緒に行けたとしても、おそらく一緒に行ける場所なんかない。
もちろん世界のいろいろなものと一緒に生きていければいいんだろうけど、同じくらいに辛いことも増えるんだし、そこにはどうにもならない辛いことも必ず増えます。結局それが良かったかどうかは解釈次第の結果論です。
御縁を大切に育てて、辛いことにも耐えて生きていくんだけど、でもやっぱり、いくらたくさんのひとに囲まれて、多くのものに囲まれていても、この世を去る時には、良かったことの記憶や体験しか残っていなくて、みんな一人。
だからいらない比較をしたり、焦ったりしてもしょうがないんだし、誰でも最終的にそこは平等。