祖父母の家には、七段の雛飾りがあったそうだ。
お内裏さまとお雛様、三人官女に五人囃子、随臣に仕丁。これらたくさんの御人形に、嫁入り道具や御輿入れ道具なんてのもあった。
比べて、わたしの家にあるのは、姉が生まれた頃に買ったらしい三段の雛飾りだ。
お内裏さまにお雛様、三人官女に、嫁入り道具。
こちらもなかなか可愛いけれど、母の話を聞く限り、七段飾りも一度は見てみたいと思う。
別に羨んでいるわけではない。
ただ、三段でも魅入ってしまうほどに美しい人形が、七段もあるのだ。
それはきっと綺麗で、家にあるものよりさらに立派なものなのだろう。
一度、一度でいいから、生で見てみたい。
たった1つの希望、それがあればいい。
でも、無ければどうするのが正解かな?
欲望ってのは無限にある。
生きている限りは絶対に尽きることがない、一種の証明だ。
空腹を満たしたいのも欲望。
眠りたいのも欲望。
スマホを見たいのも欲望。
人の営みには欲望が必要不可だ。
それを満たすことである程度の幸せを感じることができるし、満たせなければ不満がたまる。
だって、三大欲求なんてものがあるのだ。
人は欲望の塊と言ってしまうことが可能で、社会も基本的には欲望が根源にある。
〇〇したい、〇〇の方が良い、〇〇を実現したい、etc.
ああ、今日も。
美味しいものが食べたい。
私の身体は生きるために必要不可欠の食べ物を願った。
一時は欲望なんて面倒な、と無知らしいことを考えたこともあったが、結局は根付いているのだ。
生き物である限り自然と薄き出てくる欲望が。
だから精一杯付き合おう。
なぜなら、常識内の欲望であれば、従った方が人生は楽しいから。欲に塗れたこの世界を生きるには、きっとそれくらいが丁度良いから。
求めて求めて、楽しんでやる。
列車に乗って、風を切る。
それが一番、気持ちいい。
何もないけれど、遠い街に行きたくなる時がある。
今に飽きた時や、何らかの刺激が欲しい時にそんな欲求が湧いてくることが多い。
でも、今の私にとって、精々の遠出は近場の公園に行くことだ。
出不精でもできる、遠出とは言えないちょっとしたお楽しみ。
きゃらきゃらと笑う子どもたちを見やり、散歩に休む老人と言葉を交わし。
私と違う人生に触れ合うのは、素晴らしい刺激だ。
今日は昨日より少しだけ頑張ろう、と今日を生きる少しの気力が湧いてくるのだから。
うん、気晴らしには、ぴったりだ。