そんな鋭い眼差しで見ないでくれ。
状況はわかってるつもりだ。
どうやら、渋谷駅の野郎が「ヘマ」をやらかしたらしいな。自転車の立ち往生がどうのこうのって?
え、実際は違う?
しかしな、今は正確な情報など手に入りづらい状態なんだ。
ご存知の通り、スマホを開こうにもそうできるほどの隙間がない。
スマホがあるのにしぶとくラジオが生き残ってるのは、コレが理由かもしれないな。
情報を手に入れる唯一の方法は、現在乗っている車両の車掌のアナウンスのみ。それが、
「状況を確認次第お伝えします」
その連呼ときている。頼りにならない。
足りない。圧倒的に情報が足りない。
まあ、どんな原因であっても埼京線の野郎が止まっちまったのがいけないんだ。
埼京線に乗り込むはずの人数が、こちらにしわ寄せしにきて、それでこの混み具合っと。
ひとまず俺たちの状況を整理しよう。
日が落ちた夜7時半。
無事一日を終えた会社員たちでごった返す、帰りの満員電車。7号車。山手線。
ここまではいいな。
いつもなら、混雑率120%といったところだろう。
ドアの目の前はぎゅうぎゅう詰めだが、車内の中ほどはいくらか空いている。おしくらまんじゅう、押されて泣くな。それを車内でしても別に泣くほどのものでもないだろう。
朝の死闘に比べたら、だいぶマシ。
そう、平常時であれば、な。
今は朝の死闘を再現されている。
混雑率は180%くらいはあるんじゃないか?
わからないが、非常にすし詰めとなっている。
パーソナルスペースがない。
四面楚歌よりも逃げ場なし、というわけだ。
そんな脳内で架空の人物と脳内対話をして気を紛らわしていると、U駅に止まった。
通常なら乗降者数は数人レベルで、ドア周りの人の交換程度なのだが――ぐぉ!
し、失礼……。
変な声を出してしまった。
くっ。や、やるな。
あまりにも優秀なボディブローを腹に喰らってな。
不覚だが、ガード代わりのカバンは足元に下ろしてしまっている。
というか、まだ入るの?
まだ入るの?
え?え?え?
ちょっ……。
ちょっ、ちょっと……こらっ!
ホームで乗り込んでくるサラリーマン!
オメーだ、オメー!
「ったくしょーがねーな。俺のスペースねぇーじゃねーか。しかたねーな、ちょっと本気を出すか……」
出すな出すな! 本気を出すな!
もう絶対はみ出てるだろ!
ホームドア内にいるだろうからって、「まだ入るだろ」みたいなことをするなっ!
それを、ひと駅ごとにするな!
ケーキの断面からクリーム出てるって!
もう入んないんだって! そのくらい分かれよ!
「あっ痛」
というマダムの声が目の前から聞こえた。
本当に痛いときでなければ言わないセリフだ。
それを見受け、……ドア前のサラリーマンは全然懲りない。
だ・か・ら!
おしりで!
無理やり押し込もうとするなぁーー!
あまりにも強い乗車意識により、僕は形容しがたい圧力を感じた。
積み残しになりたくない、という強い心を感じとった。
今乗らなければならない。
昼間であればわかる。
デッドラインにいるということだ。
わかる、わかる、けど……
もう無理だ。強制的な撤退だ。
上から垂れた、船のいかりのようなつり革を放してしまった。僕は漂流せざるを得ない。
手を挙げたまま、車両の中ほどで宙ぶらりん状態。
ちょうどつり革が設置されていない場所。
暗黒の群衆のなかで突っ立っている。
身体全体に200%の乗客率を感じる。
体感は250%。それ以上はあるだろう。
この中でスマホを落としたりでもしたら、と思うとゾッとする。人を、暗闇だと思え。
画面操作を諦めて、握りしめるように手を変え……ようとするが、それすらもできないレベルだ。
かろうじて、画面に指を滑らせて、(あとで書く)を書いた。昨日のお題を書いていたのに、場の悪い冗談だ……
高く高く、なるべく高くを競うようだった。
神目線から見下ろせば、積み木を組み立ているようである。いや、材質からして積み石か。
積み石の上に積み石を。
少しずらして配置するその様子より、完成形を想像するに、ピラミッドを作っているのだろう。
賽の河原で行われる石積の苦行をしている。
石のサイズは、大人二人分を並べた以上はある。
横に長く、ずっしりと重い直方体を、使い古された綱で繋いで、大人数で石を引っ張っている。
綱が切れないのが不思議なほどだ。
物言わぬ労働者は皆素足をさらけ出し、乾いた地面に足をつけている。
服も貧相なもので、髪もヒゲもボサボサときている。
それが、長蛇の列を作っている。
ずるずる、と重苦しい雰囲気が一直線上となる。
切り出されたばかりの石の角は、最前列になると丸みをおびるようになる。
採石場とピラミッド建設現場までの距離が遠いのだ。
いつしか長い道のりに対し、なぞり書きされたような太い線を作っていった。
設計図を見て指示をしている人が幾名かいる。
早く、早く、と口酸っぱく責め立てている。労働者は皆影絵のように口を閉ざしている。
どうやら、日が落ちる前にピラミッドを完成させたいようだ。上からの命令、納期が……。
そんなことはできない、無理だ。
などというものは、一人残らず首を切られてしまう。
一歩一歩、規則正しい秒針のごとく稼働している。
そんな残酷なピラミッド予定地区だが、こんな残酷が十いくつも同時進行していた。
どれも「高く高く」を標榜としていた。
ピラミッドを作る目的は明かされていない。
それは労働者はおろか、指示をしている者、上から命令する者、その王すら不明だった。王の側近である神の預言者も「神の思し召し」だと言って聞かない。
思考停止だ。
実を言うと、ピラミッドの設計図を描いたのは神目線……すなわち神だった。
時々神は空中散歩という名の暇つぶしをした。
太陽の光でできたオープンカーで、世界中を駆け巡っては、このように空から進捗を確認するのだ。
別に設計図通りに作る必要はなかった。
神から――空から見れば誤差である。
完成寸前のところで、砂嵐や川の氾濫をしてやり直しをさせる腹積もりでもある。
神は悪態をつくタイプだった。
「うーん、なーんか妙な鳥になっちゃったなあ。上手く行かない……」
砂漠地帯は落書きに最適だった。
いつでも書き直せて、いつでもやり直しが効く。
その時代の者たちは全員死んだが、のちに一部は「ナスカの地上絵」として生き残った。
今も昔も、砂絵も神も労働者も、形も立場もまったく変わっていない。
謎は謎のまま。神秘は神秘のまま。人は人のままだ。
子どものように、と昔を思い起こしても子供のようにはなれない。
その事実から約十数年たった今の時代。
文明が発達して子供の頃の記憶を外部装置に残しやすくなった。子供のように、と昔を思い起こそうとスマホを起動すれば、いつでも子供になれる。
例えば子ども時代が不登校であれば、いつまで経っても子供のままである。
これは一種の提案であるが、こんな便利な世の中だからこそ、子供の頃の記憶は記憶のままでいたほうが良いと思う。スマホ動画などを撮らずに、記憶は記憶のまま残そうとしよう。
そのほうが脳の記憶領域が活性化するのではないか、という、一種の戯言。
AIの発達で、人間の脳は大容量なだけで実はスカスカになる。子供にスマホアプリみたいな便利を体感したら、大人になる頃にはボケていると思う。
放課後になれば自分は「無敵」になると思っていた。
あの頃の僕は小学生だった。
校門から出て速攻家へ帰って、玄関からランドセルだけを放り投げる。宿題なんて二の次三の次。
友だちのところへ行ってくる。
チャリの鍵を取って外へ出た。
門限まで二時間もなかった気がした。
だから、当時の僕は無敵になるしかなかった。
自転車に跨り、ペダルを漕ぐ。
車輪が回り、回転が調子に乗ってくると、頭の中はいつもマリオカートのBGMが鳴っていた。
ててて〜、てれっててって。
今の自分はスターを取っている。
いわば無敵モード。
周りの景色が止まって見えていた。
速い、速いと自分は一段と急いでいた。
でも、大人になった今。
無敵などというものは、人生においてないのだろうと分かってきた。
あっても一瞬であり、その時は過ぎ去った、と思いたい。
あ〜あ、どこかにスターが落ちてないかな。
そんな風に地面ばかり見ているから、月や空や雲などの他のアイテムに気づかず過ごしているのかな、なんて。
カーテンがかすかに揺れて、微量ながらも風が入っているのがわかる。
起きたらもう夜。
今日は一日中眠ってしまったことになる。
これを睡眠負債と呼び、休日になるといつもそれの返済をしているような気がした。
毎日規則正しい生活を、というからそのような生活を目指しているものの、その進捗率はいまいちである。
しかし、そんなものでへこたれたらあかん!
今日起きれたという奇跡を褒め称えよう。
どうしてこんなつまらない文章なのかというと、さっき気づいたからである。あっ、書いてないや。そういうわけである。
みんなの投稿とかを見てみると、夜六時台というのは、お題保存の名目で、「とりあえず投稿」をしているやつが大半てある。
僕と同じくテイタラク。
そういうヤツほど、過去の投稿とやらを見ると、だいたい書いていない。
なんだ貴様らは。お題集めに夢中で、「書く習慣」が身についてないじゃないか!
そういうのはな、長い小説や長い文章を書こうとしてるから書けないのだ。
短くてもよい。どうせ小説なんて書けないんだから、という風に、そのプライドを捨てろ!
そんな感じで、不特定多数に向けてなんか書くのはストレス発散になる。
カーテンはいつも揺れている。
それを見るとそうだった、と思わざるを得ない。
僕はカーテンにならなければならない。
揺れる、という存在。
僕たちは何かしらの知見を得るために、このアプリをダウンロードしたはずだ。
お題集めに夢中な他人など、どうでも良い。
僕はふわりと揺れることにする。