それでいい
「それがいい」と「それでいい」この二つの言葉について考えてみた。
「それがいい」は100%の肯定、賛成、欲求を意味する。
それに対して「それでいい」は60〜80%くらいの肯定、賛成、欲求だ。残りの20〜40%は諦めや妥協のニュアンスが感じ取れる。
どちらも似たような意味合いなのに一文字違うだけで感じ取れるニュアンスが変化するのは面白い。
100%の肯定など日常ではなかなか無い。だから私たちはつい言いがちだ、「それでいい」と。しかしその一文字に妥協のニュアンスを感じ取った相手は不快に思うこともあるだろう。
私たちは日常でその一文字に気を付けねばならない。特に恋人に対しては。
幸せに
「しあわせは歩いてこない」と明るく歌う、あのマーチ。
「あぁ確かに」と、歩かず不幸になった今なら思う。
どうやって、どこに向かって歩けば良いかも分からないが、ぽつんと佇むだけの私が、このまま不幸のぬるま湯に浸かり続けることは分かる。
もう歩みを止めて久しいが、どうせこのまま死ぬのなら、歩いてみようか幸せに。
何気ないふり
何気ないふりをする。
意識してないようでいて、その実すごく意識する。自分を良く見せたくて、あるいは悪い所を見せたくなくて。
人はきっとお互いに、何気ないふりをして「どうか気付きませんように」と、祈りながら怯えながら言葉を交わす。
お互い同じと気付いたら、何気ないふり止めるだろうか。
ハッピーエンド
私たちの人生は何をもってしてハッピーエンドと言えるのだろう。
物語としてのハッピーエンドなら簡単だ。事件を解決する、好きな人と結ばれる、敵を倒す、夢を叶える、危機から脱する、それだけでいい。
しかし物語が終わっても人生は続く。そして人は必ず死ぬのだ。主人公が最後に死ぬ物語にハッピーエンドなどあるのだろうか。
私たちの人生は必ず死で終わる。そこにハッピーエンドはあるのだろうか。
私の人生、物語みたいにハッピーエンドで終わりたいな。
見つめられると
人に見つめられると逃げ出したくなる。そのうち自分の弱さまで見つかりそうで怖いから。
「こんな臆病さに気付きませんように。どうか節穴であってくれ」と願いながらなるべく平然を装って笑みを顔に貼り付ける。嵐が過ぎ去るのを待つようにして。