見ているものも違うし
考えていることも違う
根本的には
混ざり合えない二人なのかもしれない
例えそうだとしても
あなたが見ているものを
私も見ようと割くエネルギーはあるし
私が見ているものを
あなたに見てもらおうと
割くエネルギーもある
エネルギーを割いている自覚があるから
エネルギーがない時はひどく冷たくなるだろうと
覚悟してるし、覚悟してる。
そしてこれは
互いに伝えてない覚悟だ
そんなあなたと
エネルギーを分け与えながら
これからもずっと共に歩んでいきたい
人知れず苦悩する人があまりにも多く
身の回り、街中、見回す度に心が微かに萎む
私の持つものでどうにか救えないかと
私には力がない
だから1対1でしか手を差し伸べられない
私には力がない
だから救う術を持っておらず
溢れる血を止めてやることができない
それでもたまに、本当にたまに
少しだけ気持ちを楽にすることができるらしい
立ち籠める濃い霧の中
心からその言葉を伝えてくれる
人知れず戦う戦士たちがいる
私は力になりたい
まだ自分さえも救えていない
なのに見えるようになってしまった
私は力をつけたい
人が変わるのにはどうしても時間がかかる
私が力をつけるにも時間がかかる
力がつくどころか見失うかもしれない
それでも前に進ませてほしい
前に進むことを許してほしい
苦悩する戦士たちが前に進むことを
“受認”してほしい
思い違いをされたり
受認がないことで苦悩する人を
多く見ているから
辰年がいい年だった人も
正直良くない年だった人も
巳年が成長して脱皮する
艶々と輝きの増す年になりますように
良いお年をお迎えください
この1年を振り返ると、昇り龍。
まさに登竜門と言ってもいい年だったのかもしれない。
私に起こった出来事は、他人から見ると挫折と言えるしそう見えると思う。
しかし当の本人は、1ミリも挫折に感じていないどころか、凄まじい勢いで一気に飛躍できたと感じている。
災い転じて福となす。
災いによって生じたこのチャンスに、私は飛び乗った。
龍が地面に急降下して攻撃を仕掛けてきたのなら、その龍に飛び乗って一気に急上昇すればよい。
空高くそびえ立った崖も、自力で登るにはキツいが、龍の力を使えばしがみつく力だけあればいい。
勝手にぐんぐん登ってくれるわけだ。
崖はまだ登りきったわけではないから、龍から飛び降りるタイミングはちゃんと見極めなければならない。
(題目しらず)
太平洋に地球の表面を見る
(題目しらず)
夢の中で夢を見た。
そしてそのどちらにも夢だと気づいた自分を褒めてやりたい。
夢だと気づかず1日を過ごしていた自分は、強烈なあり得ない出来事に「これはおかしい、これは夢だ!夢じゃなきゃ実現できない!」と気づいて暫くすると夢から覚めた。
そして夢から覚めた時、首元の違和感から夢だと気づき、「まさかさっきのは夢の中の夢だった?これも夢か…?」と疑いつつ過ごし、次第に夢と確信させていって暫くすると夢から覚めた。
一部が現実から大きくはなれた夢を見るということは、頭が疲れているのかもしれない。
でももしもそれが現実で「これは夢に違いない!」と確信を得てしまったらどうするのだろうかとふと思った。
夢だからと思ってした行動が犯罪で、「夢だと思ったんです。まさか現実だなんて…!」なんて許されないだろう…。
早く夢から覚めろ…!と思いながら生きるのか、例え夢でも償って生きよう、本当に夢だったら償い終わった頃には覚めるかも…、と思いながら生きるのか。
そんな長い夢あるか?と思ったけれど、もしも現実の自分が昏睡状態になっていて、実はその間夢を見ているのだとしたら、そんな覚めない現実とも思えてくる夢もあり得るのかもしれない。