とらた とらお

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2/7/2023, 1:45:07 PM

初めて通る道なのに
曲がるとこを間違えなかった…!

………。
しょ~もな…。
こんなこと…、どこにも書けんわい…。

2/6/2023, 8:56:51 PM

チックタックチックタック
それは否応なしに進んでいく

止まって!と叫んでも止まってはくれない
早く進んでほしくとも同様だ

ある日止まっていることに気づく
だが何処か別のところで代わりに時を刻んでいる
見かけ倒しに他ならない

幸せな時間も、来てほしくない時間も
どこかの針が無慈悲に進めていく

それでも、時間が解決してくれることが
世の中にあるのもまた事実で

あらゆる皆の想いを背負って
今日も針は進んでいく
黙々と

チックタックチックタック
今日も針は進んでいく

2/4/2023, 1:58:50 PM

良い1日を。

     XXX


Kiss

2/3/2023, 10:41:35 AM

「1000年先も」か…。
1000年先がどんな世界か分からない。
では1000年前は?

平安時代。
源氏物語が成立した頃にあたるらしい。
源氏物語!いまだに原作として登場する書籍じゃないか!
1000年越えてなお、色褪せていないとは。

古典はそれほど得意でなかったが、『ひらがな』が作られたおかげで、源氏物語といった女性作家の作品が世に多く出るようになったと習ったような気がする。

1000年前に誕生した技術・作品が、1000年後の社会で当たり前の文化として残っている可能性があるということだ。

10年経つと、最近では5年もすると古い文化になるなんて言われるこの世界で、1000年先も当たり前に存在している文化とは、いったい何なのだろうか?

到底生きては見られない世界だが、目の前のものを「これは残ってる?残らない?」という目線で見るのも、ある種、人生の楽しみなのかもしれない。

1/31/2023, 3:36:07 PM

『人生とは 大河を泳いで渡るが如し』


これは、私がこれまでの人生を歩んできて悟った、1つの考えである。人生というのは色々なものに例えられるが、私は泳いで川を渡ることだと感じた。

人間誰しも自分の人生が良いものになるよう願い、また、行動していることと思う。川の対岸が自分の人生の到達点だとすると、対岸のより良い環境の場所へ渡れるように、そこ目掛けて人は泳いでいく。

そこへ向かうために、もっとスピードを上げた方がいい(努力した方がいい)と判断すれば、力を振り絞ってスピードを上げ(努力をし)、適した環境じゃないから体力を温存しようとなれば、ほどほどの力で体力を維持しながら進んでいくと思う。

ただ、思い出してほしいのは、泳いでいる場所はただ水が溜められたプールではなく、川ということだ。

川にはもちろん流れがある。
流れは速いこともあれば遅いこともある。
岸辺は遅く、中央は速い。
また、川が曲がっていれば、カーブの外側では速く、内側では遅いのだ。川の形状によって流れが変わるわけだが、それがどう配置されているかは分からない(全容は掴めないということだ)。

川の流れに流されながら泳いでいった先に「ここに到達したい!!」と思える岸が見えたとしても、そこの流れが凄まじく速く、容易にたどり着けない場所かもしれない。

そうなった時、どうするのか。

流れに逆らってでもその場所に到達しようと思うのか、流れに身を委ねて結果として到達した所を自分にとってふさわしい場所と思うのか。

人によって考え方はいろいろだと思うが、私は流れに身を任せて辿り着いた先が、自分にとってふさわしい場所なのだと思う。(重要なことは、そこに到達するまでにできる限りの努力をしてというのが前提としてあるということだ。)

私はこれまで、自分の思ったように人生は進んでいかなかった。
私の思った通り人生が進んだのであれば、中学の時にしていた部活は高校でも続けていただろうし、大学ももっと上の大学に行っていただろう。今の勤め先なんて、絶対に死んでも選ばず、第一志望がダメでも地元の企業に何がなんでも就職していたことと思う。

でもそうはならなかった。
なぜかいつも到達しそうになると、その能力を奪われるなどして、目指した対岸に行きにくくなるのである。

その結果悪い未来が待っていたか?
いや、そうではなかった。
結果として、よい未来に辿り着くことが出来たのである。

今後、困難な状況に立たされる可能性はあるが、目指していたところ(未来)よりもより良い所に辿り着いているのである。

その事に気づいた私は、自分の力ではどうにも出来ない環境の変化(川の流れの速さ)があったときには、それに抗わず辿り着いた未来が、自分にとって良い未来なのではないか。つまり、川の流れに流されて結果的に辿り着いた先が、自分にとって良い環境なのではないかと考えたのである。

人生とは大河を泳いで渡るが如し。

流れが速いところというのは流されるべき所であって、その流れに身を任せて辿り着いた先で、身の丈にあった幸せな人生を歩もうではないか。




社会人5年生の時にノートに書いていた文章である。長い旅路の果てに私はいったい、何を思うのだろうか。

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