ねえ、置いて行かないで…。
どうやら私は大きな勘違いをしていたらしい。
ずっと人より自立している、みんなより少し先に大人になったと、そう思っていた。
けれどそれはどうやら的外れな自意識の暴走だったようで、それに気付いたのは18歳になってからのことだった。
私は幼い頃から沢山の辛い経験をしてきた。
父親からの暴言暴力は当然のこと、幼いながらに気に入っていた大切なものを周りの友人に否定され、やっと手に入れた私の居場所は残酷にも簡単に奪われた。
そうするうちに私は人との関わりを恐れ、遠ざけ、閉じこもるようになった。
そんな中、身勝手に閉じこもる私に寄り添い、否定することなく優しく守ってくれる、初めての理解者が現れた。
誰かを心から愛した経験のない私には、それがまるで運命のように思えて嬉しかった。その恋は無事実ったが、束の間の幸せはそう長くは続かなかった。
彼は人を愛することの難しさ、愛おしさ、そして手放す辛さを教えてくれた。
私はこの時、初めて自分の対人経験の乏しさを恨んだ。
きっと、私の色の無い人生の中で彼との出会いがあまりにも尊かった故に、彼を失ったことが私の18年の歳月の中で1番と言えるほどに辛い経験と思えて仕方ないのだろう。
話が逸れてしまったけれど、つまり何が言いたいのかというと、私は自分の経験を踏まえて人より大人であると、皆より早く色々なことを知ったのだと自惚れていただけなのだ。
結局、私という人間の本質は変わっていない。
むしろ、いつまでたっても昔の自分を捨てきれずに駄々を捏ねているだけの幼子同然だ。
置いていかれていたのは、他でも無い、私自身だったのだ。
今となってはもう、私にペースを合わせ、並んで歩いてくれるような人間はいない。
私はこの18年間で、友を失い、才を失い、期待を失い、愛を失った。
もうこれ以上失うものはない。
私はまだもう少し、幼子のように過去に、自分に、希望に縋っていたい。
だけど、そうしていくうちに自分の中で気持ちの整理がついたその時は、失ったものに固執せず自分の足で歩いていこうと思う。
たとえ今の私が何も無く仄暗い森の奥にいるのだとしても、ひたすらにただ真っ直ぐ突き進むことができたなら、必ず光は見えてくる。
もし道がないのなら、自分で土を踏みしめて道にしてしまえばいい。
初めは誰でも不安なものだ。
大切なことは、結果に固執しすぎて脇に小さく強く咲き誇る花々や、そっと見守る森の住人、暖かく柔らかい木漏れ日の美しさを見落とさないことである。