ん?ん
ん?帽子の話の書きかけが・・消えてる orz
使い方がまだよく分かってないー
ボクは物心ついた頃には帽子をかぶってました。
野球帽。今も変わらず(笑)
おそらく最初は母親に「帽子かぶって!」と
言われてたんでしょう。それが習慣となり、
何となく自分のセンス?の一部となり・・
いまは・・見た目的にも必要となり・・
帽子にもいろいろありますが、
キャップやハットやハンチング、ベレー、
カツラやタケコプターもいれますか。
最近、論争?ってほどでもないけども
ヒトによって全く違うなーと思ったのが、
キャップ🧢の形状です。ボクは一般的に言う?
ベースボールキャップの中でも比較的ツバの
長いキャップが好みでツバを正面から見ると
けっこう"弧"というか弓なりになってる物を
マブカにかぶるスタイルなのですが、
職場の一回り半ほど若い青年はツバは
正面から見て一直線(真っ平ら)でないと
あり得ない・・みたいな意見。
ボクにツっかかって来てるわけではなく本気。
えぇ?そんななんか小学生とか絵が下手な
ヤツが書いたようなソレですか?しかも
ソレしかあり得ない・・とは。ん~
♪育ってきた環境が違うからぁああぁ〜
いろいろありますよね、
今回、2回分ですね(笑)
小さな勇気
最近は早朝に市街地から郊外向けにバスに乗ります。
その為、比較的空いており「席を譲る」シーンに
あまり出会わなくなったのですが、
以前は頻繁でした。席を譲るって結構難しくて、
いろいろグルグル考えた上で「様子をみるか」→
「ボクの方が年配?」→「なんか今更かな」→
「今回はゴメン」というパターンも多い。
乗る前から今日は立って行こう!と考えてれば
問題はないのだが、当方もまぁまぁオッサンなので
出来れば座りたいなぁと思っていることが多い。
ハッキリ どう見ても高齢者、マタニティマークの
キーホルダー、体調不良などがわかれば ヨシ!と
なるのだが・・。
小さな勇気・・を出して、相手の感謝や
周囲の尊敬の眼差し(笑)や運転手からの賛辞・・
は決して期待せず間髪を入れず譲りたいものです。
まぁ、その結果「次降りますので」といわれ
一旦立った席に戻るという結末かもですが。
実はそれよりもボクが目指しているのは・・
降り際。 運転士に 「ありがとう・・」
とスマートに告げる紳士。
イヤミな感じでなく軽い目礼とともにサラッと。
ウーン出来ないんです。
小さな勇気と品格?憧れます。
わぁ!
世界にひろげよう 友達の輪(わぁ)!
・・クルシイ・・いつの話やねん(笑)
コレしか思い出さんかった。
ちなみに・・ って何が?って感じですが、
世界にひろげよう〜の"笑っていいとも!"は
もう10年以上前に最終回だったんですねー
まさに わぁ!ヤバって感じ。
ボクはまだ「笑ってる場合ですよ チャンチャン♪」
のジングルがアタマで再生されてるのに・・
(老害トークは以上)
わぁ!って 驚いたときの擬音?ですよね。
(・・驚かす時の擬音かな。まぁまぁ。)
目を丸くして口をあけてる絵文字?スタンプ?😮
驚くメカニズム?って不思議だと思っていまして、
来るぞ来るぞと身構えていると驚かなかったり😏、
油断してると わぁ!😵と驚かされたり。
逆に身構えているのに ビクゥ❢❢😖としたり、
究極にリラックスしていて
メチャくちゃ驚かされたのにスルー😐したり。
まぁ、なんと申しますか、
今日のお題には驚かされました・・
という お話です(笑)
終わらない物語・・
鼻の穴のやたらでかい毛むくじゃらの白い龍と、
それに乗った少年。
♪ネェーバーエンディンストーォリー
アアアーアアアーアアアー ストーォリー↗
①栄枯盛衰
②カタチあるものはいつか滅びる
③夜明けの来ない夜はない
時間の中に存在するものは物質はもちろん、
事柄であっても 「必ず終りが来る」という
ある意味実感の薄い、でもこの世の前提みたいな
概念がある。終わらない物語・・は難しい。
ただ、何をもって「終わり」とするのか。
これも・・難しい。前述した①②③などは
それらが繰り返す事で、終わりなき旅、輪廻転生、
終りは始まり・・みたいな気もしてくる。
プレッシャーのかかるシーンに立ち合った時、
「始まれば終わる」という言葉を救いにしてきた。
緊張するプレゼンも"始まれば終わる"し、
ボクの人生も"始まったんだから終わる"だろう。
・・この自然にでる "だろう" が
人生を実感出来てない・・ってことなんだろう(笑)
あぁ、またまとまらなかった(笑)
やさしい嘘・・か。ちょっと違うけど
ボクの好きなユーミンの歌に
♪Tell a lie 最後だけ本当の嘘をついてよ
君を嫌いになった・・って。
♪Tell a lie 最後だけ心から嘘をついてよ
すぐに忘れてしまう・・って。
という歌詞がある。
本当の嘘。心から(の)嘘。
パラドックス的な表現だけど、
そもそも嘘とは事実と違うことを相手に信じせる
意図を持って伝えることをいう・・らしい。
やさしい嘘・・
悲しみに打ちひしがれている人間にさらに
追い打ちをかけて、それが事実だとしても
逃げ場を失わせるような現実を伝える事は
正しいとは思えない。まずは噓をついて、
事実は後回し・・にしてもいいはず。
状況が許せば本人には伝えないで、
事実を知っている関係者が"墓場"まで持って行く
「事実と違うことを信じさせること」=「嘘」は
確かにそう考えれば 正義かどうかは別にして
正しいこと、ポジティブなこと、に思える。
「嘘」・・って それ自体は悪じゃないんですね。
悪い、醜い、そんな「嘘」も
正しい、やさしい「嘘」も
・・あるということで。