愛があれば何でもできる?
何でもできるか?・・は一旦 置いといて(笑)
愛って"究極のワガママ"だから、・・と思うから、
むしろ、「できる」ってなにか・・
という定義のほうが難しいかもと思う。
広くとらえると果てしなくなるので
まず大前提としてココでは"愛"を"相手・ヒト"に
対するモノである・・とすると、
今度は「できる」ってのが曲者になる。
ボクの場合・・あくまでボクの場合、
愛の強度が高ければ高いほど超自己中心的な
判断をすると思う。相手が望むことを「する」
「できる」かと言われればNO だと思う。
そう書いていても間違っている気はするが、
「こうであって欲しい」は
「こうでなくてはならない」ということで、
相手が望むこと・・ではなく
相手に望むこと・・のために何でもする・・
「できる」とかではなく
「そうでないと許せない」そんな気がする。
そうでない存在は・・
きっと消してしまいたいと思う。
現実にはそうではないから・・
そんなことにはならないから・・
"ボクの愛に究極の強度は無い"
ということかも知れない。
何を書いたか自分でも
よく理解出来ません。ごめんなさい。
風に身をまかせ
そうそう。
子供の頃あこがれていたもののひとつに
ゲイラカイトがある。イメージは・・
白地に黄色と赤のデカい目玉のデザイン。
「飛べー飛べーゲイラ飛べー♪」という
コマーシャルがあった・・気がする(笑)
高くてとても買えないと諦めていた。
でもあこがれていた・・という記憶。
手づくりの紙の凧は右に左にフラフラして
小学校の低学年くらいのヘタッピ小僧だと
すぐにグルっと宙返りして地面に墜落した。
それにひきかえゲイラカイトは・・
バトンみたいな筒に巻いてある糸があるだけ
どこまでも高く一気にシューンと、いや、
ビニールをはためかせバラバラバラーと
上空に飛び上がった。
風さえあればテクニックは不要だったため、
前述の糸を2〜3個分繋いであらかじめ伸ばし
ゲイラカイトを風下の広場の端まで持って行って
「ホラよ」と放り投げ・・
勝手に上がるのをみるやいなや
まさに放置プレーで野球をしていた。
帰宅時間ギリギリまで野球をして、
「バイバーイ」といいつつ、
ゲイラカイトの持ち主は糸を巻くのに
四苦八苦する・・そんな平和 (笑)
お題遅れです。ごめんなさい。
子供のままで
ボクは自分では"子供のとき"無邪気"だった・・"
とは思わない。自分の中では、
駆け引きしてたし、損得勘定してたし、
ズルいことしたし、よく見られようとしたし、
ヤバいときは、逃げも隠れもした(笑)
まあ、鳥の視点?で見れば、
下手な考えなんとやら・・で
何一つ上手に立ち回れていないのは明らか。
当然、浅い考えが故の"裏目がでるのだが
意外と低くない確率で裏の裏が出て
"怪我の功名"なこともあった。
あれ?てことは・・
あんまり進歩してないねー
基本路線・・今だに変化なし?
でも、そりゃそうか。
多少の経験値は増えても
判断のためのネタをゲットしても
肝心の脳みそ変化無しだもんね。
むしろ神経細胞激減中だろーし。
差し引きして欲目に見ても
持って生まれたこのヒトトナリ・・
子供のままで変わりなし
ってとこですかね(笑)
一年前
一年前、
春は似たようなリズムを奏でながら
似たような景色を見せていたのだろう。
春とは思えない寒さも、
春とは思えない暑さも、
やっぱりフツーに春らしい日も、
明るい朝も、突然の雷雨も、
穏やかな夜も、強めに吹く風も。
その一年前も、
そのまた一年前も、
そのまたまた一年前も。
「一年前」は、ボクの生まれたときまで
どんどんサカノボルことができる。
「ボクの一年前」は・・・
ボクがいれは "アル"し、
ボクがいなくなれば"ナク"なるんだね。
まあ、そうか。
君と出逢って、
いま、この時、こんな感じでココにいるのは、
誰の"せい"でも、誰の"お陰"でもなく、
ボクの"せい"であり、ボクの"お陰"なんだろう。
きっと、いや、間違いなく"そう"なのだ。
でも、
ボクが少し頑張ったのは、
ボクがだいぶ甘えたのは、
ボクが思いきったのは、
ボクがじめじめ悩んだのは、
そして、
ボクが"このボク"になったのは・・
決して君のせいではない。
そう、君と出逢ったボクの"せい"だ。
そう、君と出逢ったボクの"お陰"だ。
ボクが君と出逢って、
ボクは"このボク"になった。
あとは・・
「よかった」と言って終わるだけだ。