ボランティア先やらイベント先やら、出会った人々と別れた後になって"あ、連絡先交換しておけば良かったな"と思うことがよくあります。
一期一会と言えば聞こえは良いですし、実際に交換したとて次会うのかと言われると中々厳しいものがありますが、そういった話はこの際なんでも良いのです。
ふとした瞬間に、あの人はどうしているだろうか、元気にしているだろうかと、思いやることのできる相手が増えた。それだけで世界の温度が高まっていくような気がします。
(地球温暖化の話じゃないですよ)
#また会いましょう
なにかの曲名だったな……というところまでは思い出せたので残りはさくっと検索。自発的に聞いた事が無いにも関わらず歌詞を見ただけでメロディが浮かんだので、一時流行していた曲かなにかなのでしょう。ノリノリの大人たちがわいわいでした。これが幸せで、大人になればこんな日々が送れるのだろうと考えていた時期が私にもあったような気がします(まだ成人はしていないけれど、気持ち的にはね)。
人混みが苦手でお祭りに行かない自分、大人数のカラオケで当たり障りのない歌しか歌えない自分、プリクラのポーズレパートリーが少ない自分。中途半端な立ち位置にいたなと思います。なんとなく息詰まりを感じていた日々の根幹にあったのは、たぶん、騒いでる人が陽キャで、そうでなければ陰キャで、陽キャのほうが陰キャより偉い、なんていうカースト制度でした。
今もその意識がないとは言えませんし、相変わらず背中は丸まったままですが、成長するに連れて、どっちが偉いとかではなくその人の個性だ、という考え方のほうが身に染みて来ているような気がします。
個性だなんて言うのは少々大仰(どうでもいいことですが、少なのに大が並ぶのちょっと違和感ありません?)な気もしますが、靴を左から履く人と右から履く人がいるように、どちらがどちらでもなく、意識されることもなく、同じように息吸って吐いてるんだよなあと思う今日この頃です。
(追記)
みんなの作品を拝見したら、曲名ではなく単に心躍ることに関して綴られている方が多かったですね。ちょっとはずかしい
#ココロオドル
沈みゆく太陽が、私の手を引いてくれたら
#たそがれ
てすと勉強
推薦欲しいので頑張ります
#きっと明日も
幼稚園内にジャングルジムのてっぺんまで整備された小さな丘みたいなものがあって、比較的容易にてっぺんにアクセスすることができました
幼稚園生の頃はよく、てっぺんに駆け込み、腰掛けて両手でジャングルジムの棒を握り、ロボットの司令官を気取っていました。別にガンダムやらなんやらを見ていた訳では無いのだけれど、人類のDNAに刻まれてるんですかね
#ジャングルジム