【夢を描け】
30代前半の自分。
何か今の生活に限界を感じていた。
何かを変えたい。
そんな思いあった中で、
良い機会が巡り合い、結婚した。
何かが変わるかも、と夢を描いていたが、
現実は甘かった。
はじめのうちは気持ちに余裕もあり、
うまく生活と仕事のギアが回っていた。
気持ちのすれ違いが多くなった現在は、
生活も仕事もうまくは回っていない。
夢を描いて、一歩踏み出すことが大事だが、
そこから先は、努力次第ってことかな。
【木漏れ日】
雨の日の学校行事の登山。
中止も考えたが決行した。
思ったりより登りやすかった。
雨は木々に遮られ、霧の山は神秘的だった。
午後から予報では曇りだったが、
一瞬太陽が出た。
木漏れ日がとても気持ちよかった。
自然の豊かさを感じられた登山だった。
やってみるもんだな。
【手紙を開くと】
手紙は素晴らしいと思う。
文字を見ると、その人の存在やその時の状況がよみがえる。
そして、懐かしい気持ちになったり、切ない気持ちになったりする。
感情が揺さぶられる。
教員の仕事をしていると、手紙をもらう機会がわりとある。
卒業式や、何かをもらった時など。
この前ふと手紙が入っている引き出しが目に入り、久々に見てみるかと思い、これまでもらった手紙を開いた。
(過去の思い出に浸りすぎるのはどうかなと思い、普段はあえて見ないようにしている)
やはり感情が揺さぶられた。
大学時代に一瞬だけ交わったTさんや、卒業が大変だったIさんの親子、いつもお菓子をくれたNさん。
20代の頃の私は、今よりも良くも悪くも真っ直ぐだったな、と。
手紙を開くと・・・
たくさんと温かい人たちと、真っ直ぐだった自分がいました。
【すれ違う瞳】
顔を少し上げる。
すれ違いざまに他人と瞳を合わせるが、すぐ逸らす。
そしてまた下を向く。
自分に自信が持てない。
他人と関係を築くのが怖い。
自分と相手の間に壁を作ってしまう。
そんな自分を変えたい。
もっと人と人の関わり合いの中で生きたい。
無機質な自分。
【青い青い】
22歳の春、大学の卒業旅行で小笠原諸島に行った。
(卒業式をサボった)
おがさわら丸(通称おがまる)に乗って、芝浦ふ頭を夜10時に出港。そこから27時間の船旅が始まる。
これは長い。とても長い。本当に長い。
幸いに私は芝浦ふ頭で船を待つ間に、2人の女性(大学生と45歳くらいの大人の女性)と仲良くなり、色々話しながら27時間を過ごした。
大人の女性の名言は今でも覚えている。
「地球の3割が陸で、7割が海だがら、海に潜らないなら、地球の3割しか知らないことになる。私は地球をもっと知りたいから、7割の海に潜り続ける」
それで小笠原にダイビングをしに行く、とのことだった。
大学生の子とは、ラウンジで青いカクテルを飲んだ記憶がある。
27時間の船旅で船酔いをしようものなら、地獄と化す。私は、最新の注意を払い、船酔いしないように努めた。
酔いかけたら、すぐに効く酔い止めを飲む。
シャワーは個室だが、個室はとても酔いやすい。よってシャワーはやめ。
雑魚寝するところは、人がたくさんいて、足も伸ばせなかったため、結局、食堂で寝ることになった。
とても長い夜だった。眠れたのか、眠れなかったかは覚えていない。
そんなこんなで夜が明け、3人で朝食をとり、到着を待った。
父島に着く頃になると、ちょっとだけ波が高くなった。ジェットコースターに乗るような感覚だが、ちょっとだけだったので本当助かった。
27時間の船旅を終え、父島に無事到着。
そこで、父島の人たちに出迎えられ、本土ではみたことのないような木々を見た瞬間、来てよかった、27時間耐えて良かったと思った。
そこからは3泊4日、父島で2泊、母島に1泊した。
もしこれから小笠原に行く人がいたら、母島に行くこともお勧めする。
父島からさらに船で3時間くらいかかるが、母島は手付かずの自然が残っていて本当に素晴らしい。
私は3日目の午後に、母島の最南端を目指した。日本で数少ない、南十字星が見える場所だ(私は見なかったが)。
最南端に着くまでは大冒険だ。南国のジャングルの中を30分くらい歩いて、最南端の崖の上に着く。
そこで見た景色は、私の人生でも最も美しい景色の一つだ。
南を見るとただただ、青い青い、本当に真っ青な海が広がる。
崖に打ちつける波の白と海の青が広がる。
反対を見ると、母島の木々の緑が一面に広がる。
心に響く自然の景色だ。
よくもまぁこんな遠いところまで来たもんだ、と。
でも本当に来て良かったなと、青い青い海を見て、そう思った。
たくさんの景色と、小笠原で出会った人々との思い出を胸に、帰りに27時間の船旅に出る、と。
青い青いにたどり着くまで、長くなってしまった・・・