「ベルの音」
お店に行く時、入店音があるところがある。
コンビニのような人の出入りが多い店なら何とも思わない。「いらっしゃいませー(棒)」という無機質な感じだから。問題は個人店なのだ。個人店だからこそ人が入店するのを分かりやすくするためにベルを付けているんだろう。しかし私からしてみれば入店からお会計までほぼ付きっきりで接客されるのがしんどい。付きっきりでなくとも手を触れたり立ち止まったりしたもの全てに説明を付けてくれる。興味ない、何もない、帰りたい、なんてこと言えない。ふらっと入った店なら余計何も言えない。個人店は店が狭く、レジから全てが見渡せてしまうため、悪事を働くわけでもないのに自分の中で張り詰めた空気が流れてしまう。
「イルミネーション」
ここ数年イルミネーションなんて見ていない。
もしかすると見た可能性もあるが、多分小さなものだ。いつか、大きな公園にある巨大なイルミネーションを見たい。何万個という光を使ったもの。ものすごく遠くから見ないと絵が見てないもの。テレビではよく見るが、自分の目でその迫力を感じたい。
「心と心」
一心同体という言葉があるが、本当に心は一つなのだろうか。そもそも心が一つというのは何のことなんだろうか。私が思うに、考えていることや発言する内容が同じであることが、心が一つということではないかと。
一心同体という言葉に疑問を持ったのは、裏切ったことを考える人が少なからず存在すると思ったからだ。
「何でもないフリ」
自分で言うのもなんだけど何でもないフリをするのが上手だと思う。相手から見て何かあると察されていることに私が気づいていない可能性もあるが、「何でもないよ」というとスルーしてくれることが多い。
逆に、本当に何もないのに何かあると思われることが多い。言葉は本音なのに嘘に聞こえるらしい(自覚あり)
なんでだろう、棒読み感があるのかな。本当に何もないのに。こういうときに限って突っ込まれて、また言葉を発すると「本当⁈」と言われる。なんでよ!
「仲間」
人間関係を言語化するときにいつも思うことがある。
私が思っている関係と相手から見た私との関係は一緒なんだろうか、と。
特に友達が難しい。どのくらい仲良くなったら友達になるんだろうと。親友?私はものすごく信頼しているわけではないが相手から見ると親友な気がする…。こういうことで悩むから、友達何人いる?と言われた時困る。
逆に、仲間というものは区別がしやすいときがある。例えばチーム分け。
相手チームは強そうだな、私たちは仲間だから頑張ろ!こういうのは私にとって安心できる。その場限りのグループだし可視化されているのが何より"仲間"の定義がしやすいからだ。今はチーム分けをする機会がなく、敵や仲間意識が少ない。生きているうちに、仲間という言葉を聞くのはあと何回だろう