つまらないことでも、やらなきゃいけないこと。
「めんどくさー」
「成績落ちるよー」
「んー」
例えば、宿題とかの提出物。
(しんどい……早く終われ……)
「あと10分で休憩入っていいぞー!」
「はい!」
(あと10分……あと10分……)
お金を稼ぐためだけの、好きでもない仕事とか。
「マジあの子ありえなくない?」
「そうだね〜」
「この前もさぁ!」
内心嫌いな相手との会話とか。
何処で役に立つのか、本当に自分のためになってるのかわからなくて、もやもやすることが多い。
けれど、社会に出てみると、なんやかんや何処かで役に立つのだ。
宿題は提出物を期限内に出す練習で、その場しのぎでもお金が貯まれば生活していけるし、人間関係はあって困ることはない。
つまらないことは、生活の中に無限にある。
しかし、役に立たないことは少ないと思う。
結局、やるしかないのだ。
つまらないけれど。
頑張るしかない。
自分に言い聞かせるような、そんな手記だ。
できるなら、楽に生きたいものだな。
澄んだ青とピンク色、所々の緑は鮮やかだ。
「天晴れ! 天晴れ!」
おじいちゃんは笑顔で扇を仰いだ。
毎年、天晴れ!と叫ぶのが恒例になっている。
「おじいちゃん、桜好きだねぇ」
「おばあちゃんが好きだったからのぉ」
「そっかぁ」
暖かな春の日、雲一つない快晴の下。
春の風に吹かれながら、お母さんの弁当を一緒に食べた。
子供の頃に抱いた夢なんて叶うわけがないと、大人になってしまった僕たちは残酷に、しかし悲しげに思うのだろう。
実際、所謂『夢』と言われるものを叶えている人の方が、世の中少ないというのに、記憶も怪しい幼き頃の夢なんて尚更叶えるのが難しい。
子供というものは、考えがコロコロ変わるもんだから、ずっと一つの夢を追いかけ続けること自体がまず至難の業。
『夢』が将来の一つとしてハッキリし出すのは、高校、早くても中学くらいだろう。俺もそれくらいだった。
けれど、本当に子供の頃から『夢』が一つで、いつまでも意志の中から風化せず、実際に努力し、叶えた奴がいることを俺は知っている。
世の中にはいるのだ、所謂『主人公』という奴が。
と言っても、当の本人にはそんな気もなければ自覚もない。俺が勝手にそう思ってるだけ。
本当に凄い奴を見ると、自分はコイツの物語に登場させてもらえた脇役なんだと思えてしまう。
努力も、向き不向きも人それぞれってだけなのにな。
報われるかそうでないかも、ほぼほぼ運次第。
その運を自分から取りに行き、且つ、手にできた奴だけが『主人公』になれる。
運も力も『主人公』によって様々だが。
こんな話から察せる通り、俺はなれなかった側の人間だ。
共感できる人も多いんじゃなかろうか。
"主人公になりたかった、主人公の友人A"
俺の肩書きなんてこんなもんだ。
別に、自分の人生を見直せとか、周りにそんな奴いたか?って聞きたいわけじゃないぞ?
人の人生にとやかく言ったりしないし、俺の人生に口出しさせる気もない。今で十分満足してるから。
ただ、本当に凄い奴の目は何処までも真っ直ぐで、とてつもなく澄んでいて、でも熱く燃えがる何があって、誰よりも輝いて見えるもんなんだなぁと思っただけさ。
雑草の中に花が一輪。
そりゃぁ、取りたくもなるわな。
でも、誰よりも生きたいであろう本人の気持ちも知らずに、神とやらは残酷だ。
花は摘まれる、綺麗なものから順番に。
俺はきっと最後だろうなぁなんて、呟いたら彼女に頬をつねられた。
できるなら、ずっと主人公の行く末を見ていたかった。
誰よりも輝くアイツの行く末をくしゃくしゃになるまで。