自分ではない、「誰か」になりたいと
思う時がある。
愛しいものも、憎いものも全て取り払って
自分ではない、まっさらな存在に。
新しい人生へ。
そう願っても、朝起きたら名前が変わっていたり
性格が変わっていたり、
過去が変わるなんてこともない。
だから、少しだけ、変えてみる。
いつも朝はトーストだけど、今日は白いご飯。
いつも食後はコーヒーだけど、今日は紅茶。
いつもリップは赤だけど、今日はピンク。
きっと誰も気付かない。
でも、今日の私は全然違う、新しい私。
こうやって私は生まれ変わる。
何度でも、新しい私へ。
―0からの
同情なんていらない。
そう言える人が、羨ましかった。
そんなこと、一度だって私は思えなかった。
無償の愛をくれると期待した母も、
「良き理解者」だと私を称した友人も、
私の心を理解し、私を慰め、
私と共に苦しんではくれなかった。
あろう事か、私に、それは思い込みだと突き放す。
「それは辛いでしょうね。」
その一言だけでいい。
あなたにわかるか。
同情すらも得られない人間の気持ちが。
同情すらも得られないということは、
到底そこには愛情だって、友情だって無いのよ。
同情とは、他者の状況を知り、心を動かすこと。
同情だろうが、共感だろうが、憐憫だろうが。
正直なんでもいい。
私を突き放さないでいてくれるのなら、
私はあなたから、どんな感情だって欲しいのです。
―同情
「今日の私は残りの人生の中で1番若い」
どこで誰が言ったのか思い出せないけれど、
私の愛する言葉のひとつ。
今が1番若いと思えば、自信とやる気が満ちるのよ。
でも、だからと言って
「明日 目覚めた私は今日より老いている」
なんて悲観してはダメ。
老いるのではなく、大人になるの。
枯れるのではなく、熟していくの。
失うのではなく、得るのよ。
そして、私は思う。
老いを恐怖したその瞬間に、人は老いていくのだわ。
明日に恐怖する人間よりも、
明日を待ちわびる様な人間の方がきっと若い。
だから、さようなら。1番若い今日の私。
早くいらっしゃいな。今よりも少し大人な私よ。
―今日にさよなら
今日は私が強くなれる日。
昨日 夜更かしして作ったチョコレート、
あの子に渡すの。
いつもより少しだけ高い
ポニーテールを揺らして、
いつもより少しだけ早く
教室であの子を待つ。
―バレンタイン
君よ、どうして君はそんなにも
清らかな心を持っているのか。
どうして君はそんなにも
脆い心を預け渡してしまうのか。
君の心は透き通るガラス。
君は純白のお馬鹿さん。
しかしそれが君の美しさ。
いつかガラスが砕け散るとき
隣で私が、拾って差し上げましょう。
―待ってて