今一番欲しいもの
それは
当たり前のことが当たり前だった
普通の世界
平穏を崩した者たちには栄光が与えられ
平穏を懸命に生きる者たちには絶望が与えられ
そんなもの、誰が欲しいと言った
「私」は私に問う
なんでそんなふうになってしまったの?
私は「私」に答える
それが分かれば苦労はしないわよ
私は言う。「私」に。
あんたこそ、なにやってるのよ
「私」は私を睨み付けて、怒鳴る
貴方に言われたくない。
私は「私」が嫌い
「私」は私が嫌い
でも、私は一つだけ、「私」の好きなところがある。
それは、私が「私」になれる、「私」の名前
呼んであげるわ。
せめて、私だけでも。
終わりにしましょう
どうせ頑張ったところで
頑張ってない人が上手く誰かに取り入れば
頑張った人は贄となる
それが世の中
それが世界
ならばもう終わりにしましょう
声を張り上げたところで
上擦った声しか誰の耳にも届かない
それが人の耳
それが世界の耳
だから終わりにしましょう
ちゃんとしなきゃ
ではなく
ちゃんとしてるように見せかけられるように
そうして罪も痛みも誰かに擦り付ける術を
それが世渡り
それが幸福を掴める人
終わりにしましょう、何もかも
だって何もかもが無駄だった
無駄な言葉
無駄な心
無駄な痛み
無駄な涙
私の全てが無駄だったから
神様。
私は何か、間違っていたのですか?
ただ、当たり前の日々を
当たり前の日常を
当たり前の光景を
返して欲しい。そう願っただけ、だったのに。
結局、私が生んだ綻びだけが
全てを狂わせてしまった。
私だけが、原因となってしまった。
私の日常を壊したものたちは
今日も変わらず、自分達が作った綻びを大きな綻びだと気付かぬまま、自覚のないまま
笑って生きています。
私は何か悪い事をしたのですか?
私の何かがおかしいのですか?
私が今まで信じてきたものは
一体何だったのですか?
私が生きていた日常とは
皆が生きている日常とは違ったのですか?
「あなたがいたから、私は幸せを掴むことが出来ました」
大抵の人は、そんな素敵で素晴らしい言葉を綴るでしょう。
本当にそういう人が側に居るのなら
たしかにそれは、とても素敵で、とても素晴らしい。
けれど、そうではない人もいる、という事を、どれだけの人間が理解しているでしょう。
ごめんなさい。私には、そんな綺麗事は嘘でも言えない。
“あなたがいたから”
これは私にとっては、呪いの言葉。
私が綴る、この言葉の続きは。
「あなたがいたから、私の心は絶望に染まりました」
「眠るこの瞬間を恐れるようになったのも、目覚めれば朝が来るという当たり前過ぎる現実を呪うようになったのも、何もかも全部」
「あなたがいたから」