「昔の話をしてやろうか」
旅人はそう言って語りだした。
若い蜘蛛は悩んでいた。
彼は巣を作るのが苦手だった。どんなに頑張っても、まわりの蜘蛛たちが作り上げる作品のような美しい多角形にはならない。いつもどこか歪んだ、糸が絡まりあった醜いなにかが出来上がるだけなのだ。
友人たちは、若い蜘蛛に言った。
「君の価値は、なにも君の作る巣だけで決まるわけじゃない。」
そう言われるたび、若い蜘蛛の自尊心は傷つけられていった。そして同時に、友人たちの優しい言葉を素直に受け取れない自分の心の醜さにも嫌気がさすのだった。
若い蜘蛛はとうとう我慢ならなくなって、ある夜、他の誰にも告げずに旅に出た。行先なんて自分でもわからなかったが、ここにはもう二度と戻らないだろう、という予感だけがたしかにあった。
旅を続けるのは愉快だった。若い蜘蛛は、巣を作ることもせずにただあてもなく前進を続けた。
そうして明るい森の中、水辺の美しい場所で若い蜘蛛が水を飲んでいると、目の前に影が落ちた。
目を上げると、アゲハチョウがひとり無邪気に舞い踊っていた。羽は太陽の光を受けて黒くすきとおり、傷つきやすさを隠した青と明るい黄色がそれを彩っていた。
そのあまりの美しさに、若い蜘蛛は何も言えずにただ立ち尽くした。そんな彼を、アゲハチョウは気に留めることもなく、しばらく辺りを飛び回った後、やがてふわふわと彼の前から姿を消した。
あれ以来、若い蜘蛛は美しいアゲハチョウに心を奪われてしまった。彼女のことを考える以外、何も手につかない。旅を続けることなど、今はもう思いつきもしなかった。
いつしか若い蜘蛛は、あれほど苦手だった巣作りを始めた。あのアゲハチョウに、愛を伝えるためだった。一心不乱に銀色の糸を吐き、少しずつ絡めあっていく。それは今までのどんな時よりも苦しく、そして、最も幸せな時間だった。
そうして彼が作り上げた蜘蛛の巣は大きく、美しかった。
若い蜘蛛は、作り上げた巣の中で弱々しい微笑みを浮かべた。彼は巣を作るうちに自分の吐いた銀色の糸にからめとられ、それが完成するころにはほとんど身動きが取れなくなっていた。
若い蜘蛛は、食べることも飲むこともできないまま、次第に弱っていった。いつしか眠りについた彼の近くを、いつかのアゲハチョウが無邪気に飛び回り、そして去って行った。
「もう、昔の話だがな。ま、生きてりゃ色んなことが起こるんだよな。お前さんは、俺やあいつのようにならずに、もっと利口に生きていくこった。」
旅人は、旅を続けるうちにすっかりすり減って、ボロボロになった羽を広げて飛び立った。
(踊るように)
貝殻と聞いて連想するもの
幸せの丸い貝
(貝殻)
【お題無視】
本を読んで久々に、心にダイレクトに刺さる経験をした。
それが本当に、社会人になってから初めてくらいの懐かしい感覚で、今私は一種の興奮と共に充足感に満ちていて。
常になにかに耐えながら、できるだけ心を動かさないように、大人のふりをして日常をやり過ごしている私が、こんなに素直に自分の心を明け渡して本に没入できたことが、今日はたまらなく嬉しかった。
私の当たり前は、誰かの当たり前ではない。
そんな当たり前のことを、忘れかけていた自分に気付く瞬間は、なんか気まずい。
(私の当たり前)
仕事上関係のあった人が、七夕を待つようにして亡くなった。
もう高齢だったし、病気もあって前から徐々に弱ってきてはいたけど、思ったより早く彼方に往ってしまって驚いた。
まあでも、七夕の日を選んで亡くなったってことは、星の世界に待っている人がいたのかもしれないね。
(七夕)