夢のつづきが見れるならどんなにいいだろう
でも私は、望んでつづきを見ることができた、なんてことは一度もないわけで
つまりは夢ばかり見るな、ということなのだろうか
でも…でも、あの人が現れた夢くらい
そんな夢のつづきくらいは見せてくれてもいいと思う
例えその夢の先が、私が望んだものではないとしても
己が願った代償として受け入れるつもりはあるのだから
だから、どうか
もうきっと会うことのないあの人の姿を
どうか
#あの夢のつづきを
日の出は冬のこの季節、早出のときに見れたり見れなかったりする
初日の出を見に行ったのは子供の頃かなぁ…
#日の出
いつも私のわがままを聞いてくれてありがとう
優しいあなたにはつい、甘えてしまいます
だから、これも私の“わがまま”です
他人を優先するのもいいけれど
それは、あなたの“美点”なのだけれど
どうか、まずは“自分”を優先してください
優しいあなた
どうか私の願いを叶えてください
他の“わがまま”はこれからちゃんと我慢します
だから
どうかどうか、お願いします
私の願いを叶えてください
誰にでも、別け隔てなくやさしいきみへ
#大事にしたい
キレイな夜景を眺めながら
「キレイだね」
「……自分はあんまりキレイだとは思わないんだよね」
「………は?」
「だってさ、あれ全部電気の光でしょ?電気代…」
「い・ま・言・う・な!!!」
夜景を見るたび、夜景の話題になるたび
繰り返される会話である。
#夜景
ヒマワリ、菜の花、コスモス、ラベンダー、など
いろいろ見に行ったこともあるけれど
実はあまり花畑は好きじゃない
なんでだろうかと考えてみた
一面に咲く、あの景色はきれいだと思うし、
好きな部類に入るだろう
ただ、じゃあ見に行こう、とはならない
近くで眺める、というところに行くとたちまち興味がなくなってしまう
つまり、景色としての花畑は好きな部類に入る、ということか
それに、花自体もあまり好きではない
もちろん、好きな花はある
桜、梅、鈴蘭、紫陽花、朝顔、椿
これらはパッと思いついた好きな花たちだ
桜は散り際より、蕾がだんだんほころび、ひとつふたつと咲き始めるころが好きだ
梅は咲きそろっているのが好きだし、鈴蘭は一株一株、ぽつりぽつりと立っていてそれらがそろって花をつけているのがいい
紫陽花は雨に、朝顔は夜露に濡れているのがキレイだと思う
椿は雪を乗せている、あの雪があるからこそなお映える濃い緑の葉、赤と白の花。
ここまで書いていて気づいた。
どうやら、群れているのが苦手らしい
桜だって梅だって、群生しているのは見に行こうとは思わないし、景色としてはああキレイだなと思う
鈴蘭も群生しているより一株、二株、ぽつりぽつりと立っている方が好みだ。
紫陽花と椿…は、よくわからないけれど、朝顔は一鉢に1輪2輪咲いている方がなんとなくいい気がする。
群れている、群生しているのが苦手なら、花畑に興味を持たないのはなるほど、たしかにそうらしい
花は遠くで景色として楽しむことにしよう
#花畑