𝐆𝐚𝐦𝐞 𝐨𝐯𝐞𝐫!
あなたは しんで しまいました!
またゼロから 人生 スタート!
がんばってくださいね^^
小学校の頃に流行った、鍵付きの交換日記
どんなに辛くて落ち込んでいても、
木枯らしが吹いて耳が痛くなれば、
自分は今生きているんだなと、痛感する。
彼女は美しかった。
立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花……とまではいかないかもしれない。けれど彼女は美しかった。
勉強も運動も普通くらい、容姿も平均より整っている程度。これ若干の悪口か?書いてて不安になってきた。全くそんな気はないことをここに弁明しておく。
彼女はクラスでも人気者だった。彼女の周りはいつだって笑いが絶えなかったし、彼女自身も笑顔だった。
でも、僕は知っている。僕だけは知っている。
彼女のその笑顔が造り物だということを。
ふとした瞬間、笑顔が抜け落ちる瞬間があることを。
それは何より美しかった。
僕だけが知っている、クラスの人気者の本当の顔。
僕だけが知っている、彼女が死んだ瞬間の顔。
みんなは知らない。何故彼女が飛び降りたのか。
僕は知らない。何故彼女が飛び降りたのか。
それでも言えることがある。
彼女は、最期まで美しかった。
この世界において、生きるということは、最も高尚な行為である。そうだろう?
息を吸って、吐いて、栄養を採って、排泄して、休息を取って、また息を吸う。こんなにも面倒で仕方の無いプロセスを人々ひいては全生物がしているのだ。生きているのだ。そうして毎日、記憶の1ページを綴っている。
しかしながら、全員が毎日当たり前にしている行為は、果たして高尚と言えるのだろうか?現代における日本語は、やや面倒くさい。京言葉のように、本来の言葉の用途とは逆に、皮肉を効かせて使うこともままある。
「とても高尚な趣味をお持ちですね」なんて言葉、果たして素直に受け止められるだろうか。私は性格がねじ曲がっているので、言葉の裏を探ってしまう。つまり素直に受け取ることはないだろう。受け取ることはないし、それはきっと、発することに関しても同じだ。
ここでもう一度言っておこう。
この世界において、生きるということは、最も高尚な行為である。そうだろう?