常春の虫籠と紋白蝶
もんしろ?と聞かれて漣のように笑い声が広がる。
「ええ、知っているわ」
「よくよく知っているわ」
「だけど誰も顧みないわ」
誰があんな、平凡な蝶を選ぶかしら。
「せめてヒメウスバ」
「せめてエゾシロ」
キアゲハが笑う。目立たなくちゃ。
「アカマダラ」
「コムラサキ」
艶やかな色合いの鱗粉を落としながら笑う。
「ツバメシジミ」
「ジョウザンシジミ」
慎ましさや愛嬌も足りないと嘲笑すら散見する。
「平凡で、鈍感で、長閑で、愚かで」
「目立たなくて、色気もなくて、駆け引きも出来なくて」
煌びやかな薄物を着た女たちが声を潜める。
呑気にくぅくぅ眠る至って普通で至って平凡なモンシロ。
「こんなにも無垢な生き物が、カマキリに喰われるだなんて春が何度巡ってもあり得ないわ」
ミヤマカラスアゲハが口元を引き締めて瑠璃色の髪を纏め上げる。
「精々パッとしないミツバチみたいな奴と呑気にお天道様の下をひらひらうろうろすればいいのよ」
「そうよ、生意気よ」
ベニシジミが小さな体躯に色気を乗せる。
「この虫籠にモンシロなんて必要ないわ。さっさと子供でもこさえて地面に這うのがお似合いよ」
カマキリがやってくる。蝶々はその大きな翅でモンシロを隠してしまう。カマキリがやってくる。蝶々はぼりぼりとカマキリたちに食われてしまう。カマキリが満腹になるまで何度でも、何度でも、この常春の虫籠の中で窮屈に飛べない翅を広げて。
「モンシロ?あぁそんな子も居たわね。でも飛んでいったわ、平々凡々などこにでも居る子だもの」
鱗粉を落としながら翅を広げたり閉じたりしながら点滅するように笑う。毒のように蝕む香の煙の中で、嫋やかに上品に蝶は笑う。カマキリに食われる度に都度羽化しては春を迎える。彼女たちに夢中なカマキリたちはすぐモンシロを忘れ、春以外を生きるだろうモンシロを虫籠の住民たちはすぐ忘れた。春に囚われた美しく華やかな蝶、モンシロチョウは生きて、番を作り、子を成して。そうして老いて死んだらしい。
「モンシロチョウ?そんな子、居ないわよ」
2023/05/11
一年後に魔女は消息を絶つ
「一年後、絶対殺す」
そう言った彼の瞳は燃え上がるように鮮烈で。その燃える瞳に恋をした。だから私は四六時中彼を鍛え上げ、時に瀕死にまで追い込み、それでもと喰らいつく彼を焼き尽くすような瞳をずっと見ていた。復讐は何も産まないと言うけれど、せめて当人の中で何か変化が起きるなら。少なくとも絶望して私の前から消えてしまうくらいなら、その身を焦がす炎ごと私は愛したい。その言葉に応えたい。
丹精込めて火種に糧をやり、技術を磨き、鋭い剥き出しの刃物のような存在に。約束通りきっかり一年後、彼は私を見つめて言った。
「約束の日だ」
「そうだね」
風の凪いだ砂浜で、復讐の為に刻んだ傷痕のなんと美しい事か。鍛え上げた身体のなんて雄々しい事か。
「幾度とお前とは手合わせしたな。最初は全く派が立たなかったのが懐かしい」
「あの頃のキミは弱かったからね」
「確かにお前はずっと微笑んでいた」
ギラリと鋒のような瞳が私を射抜く。古今東西、王道から邪道まで全てを私は君に仕込んだ。必ず復讐が成し遂げられる事を願って。
「殺せそう?」
「ああ」
短い言葉に安堵する。嘆息にも似た吐息が溢れる。
「ようやく。お前の殺し方が分かったからな」
そう、そう。大切な幼馴染を家族を頼もしい仲間を愛する存在を帰るべき故郷を足掛かりにした拠点を応援してくれた街を、全て全てことごとく。目の前で無惨に奪ってみせたのは私。私、私が奪って奪って奪い続けた。出会ったあの日、いつものように気紛れに乱雑に力を振るった時に見た、偶然生き延びたキミの絶望ではなく燃えるような復讐の炎が気に入ったから。うっかり平和に逃げないように、愛に溶かされて諦めないでように、優しさで刃が錆びないように。全部全部目の前で容赦なく私が焼いてみせた。行く先々で丁寧に怨嗟を聴かせた。
「ふぅん」
業火のような目力と、鋭い目線が私を射抜く。私の愛する可愛くって弱いひと。ひとりぼっちのかわいいひと。
「お前は俺をひとりにしたがったがそれは叶わない」
「あら、心の中にみんなが居るとでも?」
嘲笑えばお互い顔が笑顔の形に歪む。弱い弱いか弱い人間。少し力を振るえば容易く吹き飛んでしまう脆い人間。それが漸く私と同等の場所まで来てそして私を見つめている。
「違う。お前が居る。お前が居る限り、俺はずっと、孤独ではなかった」
「は?」
「どんなに繋がりを断ち切っても俺にはお前が居る。狂いそうなほどに縁深いお前が居るから他の何を喪おうと変わらない」
「ああ、そういう」
だってそう仕向けたのだから。
「俺にはお前しか居ない。お前にも俺しか居ない。俺は、お前しか要らない」
「ん?」
「憎めど憎めどその微笑みは、何物にも代え難いほど美しい」
「んん?」
瞬く間に私の前に躍り出ると踊るように私を拘束する腕には火傷痕。私がかつてつけた、交戦の証。
「俺に近づいた女を奪い俺を縛りつけようとした拠点と街を燃やした時には確信した。俺から自分以外を巻き上げるほどの情熱的な愛を」
ちらりと赤い舌に色気を覗かせて今までで一番近い距離でその瞳を見つめて気付いた時には遅い。
「狂うほどに恋焦がれ、それを確かめる為に人と関わる俺の周りを予想通り綺麗に焼き尽くす健気さよ。憎たらしいほど愛おしい、俺の心を焼き焦がす炎の魔女よ」
「違、なんか違うちょっと待って!私を殺すんじゃなかったの!?」
「ああ、殺すさ殺してみせる。憎いお前を殺す方法は」
一息おいて私を抱きしめ口だけを歪める男の美しさよ。
「耽溺するほどの愛情で今後一生を絡めとる事なのだから」
その日以降炎の魔女の行方は誰も知らない。世界に平和が戻り、こぞって一人の勇者が復讐を成したのだと声高く主張する。
実際にある一人の狂人が成したのは夫婦の契りであり、逃げようとする魔女へ戦闘行為という求愛を重ねに重ねただけの結果である。だが、だがそれでも男は幸福だった。復讐と狂気に駆られて目覚めた愛は深い執着として魔女を殺しその肩書きを愛する妻に変えたのだから。
「お前の闘う姿はうつくしいから、俺以外にはもう見せられない」
「ああもう殺しても死なないなんて頑丈な!」
「愛するお前が独りにならないよう、研鑽した甲斐がある」
2023/05/09