祭りと言えば やっぱり盆踊りだと思う。
毎年、夏休みになると祖父母の家に預けられていた
私は、この季節があまり好きではなかった。
田舎故に代わり映えのしない日々は、とても退屈で
好きでもない昆虫採集や、何度も繰り返し
遊んでいるゲームで更に薄くなっていた。
年若く、感情的な両親は、気に食わない事があれば
すぐに躾として怒鳴り散らし
時には暴力もあったので
私は、小さい頃から大人の機嫌を伺うよう育った。
当然、祖父母に対してもそれは変わらず
何を聞かれても遠慮していたし
我慢できることは全部我慢した。
祖父母からすれば、預かりがいの無い子供だったと思う、何を聞かれても遠慮したし
買い物に行っても
ただ付いてくるだけの子供だった。
そんな子供が珍しいのか祖父母は妙に
私を気に入って、しっかりした子供だよ
と褒めてくれた、それが嬉しくて
どんな事でも我慢しようと子供ながらに誓った
ある年の日
祖父が亡くなった、
海の日にある祭りに行く直前
突然の訃報だった。
現実感の無いまま
流れる様に事は運び
涙も流れなかった。
初めての葬式はあまり見ない親戚と
大人達が普段見せない涙を見てるうちに終わった。
その年から3年程
祖母の事を慮り、私は夏休みを実家で過ごした。
祖父母の住む団地より少しばかり栄えていた町
毎日友達と遊び、夜になれば祭りに花火と
充実した日々を送っていた。
そうしてしばらくした後
私は、また祖父母の家に預けられた。
共働きの両親は私が居ると負担が大きく
そろそろ良いだろうと私を送り出した。
祖母は昼間は普通に振る舞っていたが
毎日行っていた買い物もしなくなったし
お昼のテレビに文句をつけることも
しなくなっていた。
それに、夜中はいつも
結婚記念日に祖父から贈られたマッサージチェアに
座ってボーッとしていたのを
私は知っていた。
盆踊りに行こうか
祖母が誘ったそれは、町内会でやる
小さな祭りで、屋台もないし花火もない
メインは盆踊りだけで、うんと小さい子か
地元の老人ばかりの集まりだった。
別に乗り気では無かったが
行きたい?ではなく行こうか、と言われて
しまえば私はついていくしかなかった。
とはいえ、踊るのも嫌だし
友達も居ない祭りで私はすぐに
やることがなくなったので、
祖母が知らない人と喋っている間に
昔を思い出していた。
初めて預けられた年に
一人でこの盆踊り参加したこと
空が暗くなり慌てて帰ったこと
家に帰ると祖父しか居なかったこと
帰りの遅い自分を心配して祖母が探しに行ったこと
もう一度祭りに顔を出し祖母と合流できたこと
安心した祖母の顔にごめんなさいと言ったこと
笑った祖母と手を繋いで帰ったこと
私は知らない人と喋り終えた祖母と帰るとき
大きくなってもまた来るよと
約束した。
大人になって
実は祖父母と血の繋がりが無かったことを
知ったが、今でも
おじいちゃん、おばあちゃんと言えば
祖父母の顔が思い浮かぶ
もう盆踊りは無くなってしまったけど
祭りと言えばやっぱり盆踊りよなぁ。