昔からチェスをするのが楽しかった。
自分でも変わった少し趣味だと思う。
別にチェスが強いわけではなく、ただただ趣味として楽しんでいた。
───だけど現実では趣味を共有する仲間がいなかった。
仲間、というと別にネットでもいいじゃないかと、嫌だったら知り合えばいいじゃないかと。
人見知りなのだ、僕は。
なんていうか、現実に趣味、夢のような時間を持って行きたくないのだ。
でも、現実を趣味の場とできないだろうか?
趣味という個性は僕の中でずっとしまっておこう。
熱い鼓動を抑えながら僕は日々を生きてゆく。
虹のはじまりを探しても、見つかることは決してない。
とても曖昧で限りある時間でしか現れないからだ。
人生の中の幸せも同じように感じる。
幸せのはじまりはあるが見えない。
まるでそれが当たり前にあるから。
曖昧、しかし確実に迫る時間。
虹のおわりも見えずとも幸せは消えた、それはわかる。
幸せは、はじまりすら探しても見つからないものだ。
だが雨の後、自分の目でしっかり、雨雲の向こうを見たなら、虹は見えるかもしれない。
※注意 「糞」という言葉が使われます。
ダチョウは飛べないのに翼はいるのだろうか?
「どうせ実現しないのに⋯⋯」
「カァー」
返事をするようにカラスが僕の頭上で鳴いた。
カラスが疑問に答えているように感じて空を見上げた。
返事が来た──上からの糞で。
「糞カラス!」
「カァー!」
カラスは怒ってどっか行ってしまったらしい。
ダチョウは空を飛べない。
だが、上から糞を落とすこともない。
それだけで少し納得できた。
隠された真実と同様、
その代わりの嘘も一つだけだ。
じゃないと、
それが嘘と見破られる。
嘘は都合がいい、
だが真実が知られるリスクある。
しかも、
用意できるのは一つだ。
あの日の景色はどんな景色だっけ?
覚えていない。
ただ確実なことがある。
それは心には残らなかった、ということだ。
当たり前だ───だが大事なことだ。
あの日の景色は綺麗ではないと思ったかもしれない。
でも「綺麗」と言った人が隣にいた。
俺は全くの反対意見なのに、
その言葉は心の中でも否定できなかった。
忘れてしまったがどこかで、
綺麗だと思っていたのかもしれない。