人間の運命・・・正に不条理だ。
生まれた環境、
持ってしまった障害、
職場での立場、
最近では親ガチャなんて言葉もあるのかな。
人間皆平等なんて・・・たて前だけ。
「時間だけは皆平等」て言うけど、事故や病で早くに亡くなる人もいる。
ただ、陽の光や自然だけは平等かな。
いつか無くなるかもしれない人生の中で、出来るだけ、一日一日悔いのないように生活していきたい。
泣かないで・・・
今日はどうしたの・・・
「うん、お母さんが行っちゃった」
「お仕事なの?」
「うん、でも・・・行かないでって言っけど、行っちゃった」
「そう・・・悲しいね、でもキミも頑張ったよ。お母さんも、キミと別れる時は悲しかったんじゃないかな」
「お母さんが帰ったら、お疲れ様、帰ってきてくれてありがとう。て言ってあげたら・・・お母さんも嬉しいと思うよ」
「・・・うん・・・ありがとう」
そういう私は、しがない支援施設の職員だ。本当の家族や家庭なんて既に崩壊している。
でも・・・児童の笑顔を見ると、何というか、心から込み上げてくるものがある。
やはり、子供はどんな子でも天使だ。
昔から、暗い場所や独りぼっちは怖かった。
覚えているのは、保育園に預けられる時に大泣きして母にしがみついた記憶がある。
割と、3歳以降の記憶残っている俺。
普通は忘れそう?でもないか・・・色んな人がいるんだもんね。昔というか、深層に記憶されたものかもしれない。
でも、今はその記憶が尊い。母に叱られたり、褒められたり、家族や親戚で団らんしたことも。それも今になっては過去の記憶。
アラフィフになって現在、両親も他界。色々あって独身だ。気を張って生きてきたけど・・・ふと、思うことがある。
このまま独りでこの部屋で孤独死したら。
持病も抱えている現在・・・たまに怖くなる。
「君の瞳に乾杯」
なんてドラマ、昔あったかな・・・?人は(人だけじゃないかな?)、その人の本心を探ろうとする。
当人は気付いていなくても。
お母さんや子供の、恋人の、友達の。他色々。
確かに、キツい眼差しや廃人みたいな目は、気持ち的にブルーになる。
逆に、あまりに笑顔な眼差しも、不自然さがある(セールスマンとか☓☓チューバーとかね)。俺的には、その奥の眼差しに闇を感じる。
本当に安らげる眼差しって、自然に敵意を感じない程度が丁度よい。と、俺は思う・・・。
隣で寄り添ってくれる人・・・
それは、親かもしれないし、恋人、我が子、はたまたお気に入りのぬいぐるみなのかもしれない。
無条件で情を与えてくれる人、感じるもの、多分・・・それは人それぞれなのだろう。
でも・・・物理的なそういう相手は、いずれ無くなっていく。俺の母親は約12年前に他界した。亡くなって改めて、喧嘩しても、俺が遠くに行ってからでも、気持ちの面で寄り添っていてくれたのだなと解る。
人間は自分勝手だなと。
心の中では、母は今でも、俺の心に寄り添ってくれているのだと信じたい。
今年の盆も、色々供養したいと思う・・・。