「お帰りなさいお母さん」
「ただいま〜、今日はカレーにしようか、肉も買ってきたし。」
俺の家は母子家庭。親父は俺が3歳の頃離婚して出ていった様だ。けど、その後も家に来て母さんとケンカばかり。酒ぐさいし、外に女も作ってた。相手の女の家に何故か連れて行かれたこともある。
俺の母さんは、何でも料理が旨かった。豚三枚肉の煮込みやカレー、グラタン等。見た目は勘弁。特に、冬場にコタツで卓上ヒーターで焼き肉する時は最高だった。
なので、小学〜中学はぽっちゃり?体系に♪妹達も凄い楽しそうだった。
正月、クリスマスや桃の節句も、それなりに飾りつけはしており、今考えれば、母子家庭で親父からの支援も無い中、よく生計保っていたものだと・・・母親とは強いものです・・・。
親の記憶、良くも悪くも、一生付いていくものですね。
女子家庭の中で育ったからなのかな、俺は男性に対して微妙な感覚を覚えていた。
ある日親父が気まぐれに家に来ていた日、親父がトイレする後を追っかけて、
「ちんちん見せて!笑」
って言って怒られたのを覚えている。
俺自身、性に対しての目覚めも早かったかな?小5〜6の頃には自慰やってたし。漫画やアニメの裸ムキムキのヒーローに欲情しまくりだった。
主人公同士のイチャイチャや恋愛とかも。
今思えば同人誌レベル。
中学時代は、趣味のイラスト描きなからエロファンタジーな絵も描いていた(勿論親にはいぶかしがれたけど)。
初恋というか、男に一目惚れしたのは中2の頃・・・
殆ど引きこもり状態だった俺は、中2だけは何とか数日は通っていた。周りからは、
(お前オタクだろ、キモい)
みたいな罵声を受けながらも。
その時図書館には感謝している。なにせ、「里見八犬伝」という文庫に巡り会ったからだ。
図書館に通ったり、家で漫画やらファンタジー系のイラストやら描くのが唯一の癒やし。正に中二病まっしぐら。オカルトや、何とか術にもハマった。世間様から見たらキチガイだ。学校の先生とこれでもかともめたり、相談所にも連れて行かれたかな。
中学時代の思い出は、殆ど病んでいた記憶しかない。親への暴力や不登校。俺のせいで、家族がバラバラになるきっかけを作ってしまったのだから。
でも、そんな時でも母さんは、いつも笑顔でいてくれた。こんなクズな俺の為に・・・
(ああ、俺は地獄行きだな。何度か死にかけても生きてきてしまっているのが辛い)
でも、過ぎ去ってしまった過去は戻らない。いくら感謝や懺悔や祈りを捧げても。
お金・・・大事でしょ、やっぱり。
親の介護、子供の教育、食い物の調達、家賃や光熱費、税金関係。・・・偽善やごたくを並べても、やはり金は必要だ。
金より大切なもの・・・それは、それは底辺でもがいた者にしから解らない。死ぬ気で生きている人間だからこそ、金や様々の、価値は解ると思うんだ。
月夜の晩、ふっと足元を見る。
「こんな夜なのに、影がある。月が俺を照らしてくれている・・・」
太陽もそうだけど、月夜もありがたい。何せ、電灯もいらず体外晴れて、洗濯も外干し出来るからだ。
北日本や雪国の方々にとってはあまり実感無いかな?
でも、俺ら沖縄地方の人間にとっては死活問題・・・そんなに生き易い土地じゃねぇんだよ、と。
石垣や宮古島食い物にしている企業や輩も増えたしな。
冬場も割と温かいから、市内の公園で野宿しても凍死することはまずありえない。ただ気をつけたいのは、油断して寝て、窃盗に会ったりゲイ君にヤラれること。
もう30年近く(もっとか)続いてるんじゃね?
沖縄はゲイ密度が高いんですよ。外人ゲイも多いし。何故か。基地関係もある?それで、病んでしまう人もいる。
心砕かれても、でも、月夜の散歩は清々しい。
絆・・・親子の絆、兄弟の絆、師弟の絆、親友との絆・・・。様々だ。
血縁関係の絆って、最高だと言う人もいるけど、そんなことはない。
虐待、ネグレクト、親って何だろう。パチやアル狂い。
施設暮らしの子供達は親子との絆は?
心と心との繋がり。それが本当の絆だと思う。
近くの、小学校の同級生の昔からやっているパン屋かある。地元に帰って来てから、懐かしくてたまに買いに行くのだが・・・。朝から、ママ友や家族連れ等がいて、何か気まずい。(一般の方々ってこんな感じ何だよな)って、自身を蔑む。
でも、たまには俺みたいな人種でも、パンと温かいクリームスープ飲んでも良いよね?
と感じつつ、エアコンの無い部屋で眠る・・・。