毎日お題を出してくれるけれど、なんで敢えて英語?とか、なんでそのお題が出されたのかが氣になってしまう性分でございます。
本日のお題は『Kiss』
ね。
なぜにキッス?とか思ってしまうわけですよ。
それでもね、その「なぜ?」を脇に置いて、そのお題で脳内に検索をかけて、絞り出すように毎日書いておるのです。
さて、『Kiss』です。
英単語にするとなんと甘い感じがするのでしょうか。映画「小さな恋の物語」のような…。実際、そんなシーンが出てきたかどうか、はっきりとは覚えてないけれども、なんかそんなようなイメージが浮かんだわ。
かわいらしい感じね。
Kissは、そんな感じがする。
1000年先も
人間は存在しているだろうか?
いやその前に、地球は存在している?
数年先も予測がつかない世の中だもの。どうなっているかなんてわからない。わかりたくもない。なあんて、どっかの歌詞にありそうな言葉で遊んでみる。
ああ、無常。
すべては移ろいすぎて行く。
よく晴れた氣持ちいい日に、自転車で出かけるのが好き。
ちょっと遠出して、氣ままに、思いつくままに、道を選んで進むんだあ。
田んぼの脇にある砂利道をガタガタいいながら走っていたら、途中で水色の群生に遭遇。ちいちゃくてかわいくて、思わず、自転車を止めて、カメラを向けた。けど、わたしの技術では、そのかわいさが伝わる写真がなかなか撮れなかったのよね。
実はそのときはそれが勿忘草だって知らなかった。
小さくて素朴な野に咲く花。その可憐で完璧な美しさで存在している姿に憧れる。
学校帰り、ブランコで立ちこぎして、高く高く上がるのをよくやった。
小学生の頃のはなし。
ブランコだけじゃなくて、ほかにも色々遊具があった。まだ危険とかなんとか、あれこれ言われて撤去される前の時代。今思うと、危険とは隣り合わせだったのよね、ほんとに。そのギリギリのスリルが楽しかったのかもしれない。
ブランコの記憶からあれこれ芋づる式に思い出して、われながら意外だったのが、ほとんど、ひとりで遊んでいたこと。友達と遊具で遊んだ記憶がほとんどない。なんでかはわからない。けど、ひとりでも楽しかったような氣はする。
登り棒に登って、てっぺんからあたりを眺めるのも好きだった。あの頃の身軽さに戻れるものなら、戻りたいなあ。
旅路の果てに辿り着いたユートピア
こうして人生を終えられることが嬉しい。
本当に望んだ人生を、
魂が望む人生を、
生きたかった。
ずっとそれを望んでいた。
生きられたんじゃないかな。
ありがとう。
わたし。
ありがとう。
お母さん。
ありがとう
お父さん。
ありがとう。
さっちゃん。
ありがとう。
けったん。
ありがとう。
地球
ありがとう。
星たち
ありがとう
これまで出逢ったすべての人たち
ありがとう
ありがとう
ありがとう