『1年前』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
1年前
去年の夏の話か。去年は結構暑かった記憶がある。それでも夏のほとんどをぼろいエアコンで過ごしたからそうでもなかったのかな。
まぁ喉元すぎればって言うし去年どれだけ暑くても今となっては、といったところだな。それに去年の夏の終わり際にエアコンを買い換えたから今年の夏は余裕だぜ。
今は少し冷房を効かせたら除湿の弱運転で過ごしている。これが部屋の温度的にも電気代的にも一番いいと思う。
買い換えたエアコンは性能が良すぎて冷房入れると寒くなるんだよな。エアコン嫌いな人の気持ちがちょっとわかる気がする。
で今日はジャンプの発売日だからちょっと感想を書くか。ちょっとだけでいいや。
まずはワンピース。まずはというか最近のジャンプはワンピースと呪術以外微妙なんだよな。まぁそれはいいや。
ベガバンクはいろいろ情報を開示してくれたけど結局最後までは無理だったか。でもそんな気になる感じじゃなかったからまぁいいか。
あとは鵺とかカグラバチだけどこのどっちも最近微妙でな。新連載も出だしできっつってなったからジャンプも読むものがなくなってきた。
でもなんだかんだ売れてるのも多いから雑誌の問題じゃなくて俺の感受性とかセンスが衰えてきたんだろうな。要は流行りものにのれなくなってきたおっさんということだ。
見たいけど 隅田の花火 娘いる
暑くなる スイカ食べたい 満点だ
「あとはまかせた」
今、僕にバトンが降ってきた
12ヶ月越しに
僕から僕へ
小さな書き置きと共に
途方に暮れた僕は
思わず
届かぬ手紙を綴る
僕よ
僕は
僕のままなの
だから
僕は
震える手で
バトンを受け取り、
また必死に
僕として
走り続けるしかないのだ…
お題:1年前
🍀 1年前(2)
ダンスへの威力を無くし、
大学受験まであと2年半“も”あると言ってたのを覚えてる、
今では少し焦っている。
まだ純粋に夢を追い続けてたが、今では勉強しか考えてはいけないような。だから夢も自然消滅したような。
確か高校1年生になったことを悲しく思ってたり?ネットコースだったから環境に変化がなく実感が湧かなかった記憶も。
確実に言えることは、今より全てへの意識が低かったこと。
昨日、
買い物から帰る途中、
道端でウンコを踏んでしまった。
最悪な気分だった。
就寝前にそのことを日記に書いていると、
ふと、「1年前はどうだったかな」
と、思った。
何か良いことが書いてあれば
少しは嫌な気分が紛れるかもしれない。
同じ日付のちょうど1年前までページをめくった。
ウンコを踏んでいた。
「1年前」
1年前と言われても、ぱっと思い出せない。
上の子は幼稚園の年中。
下の子は来年から幼稚園だけど大丈夫かな?と心配していたんじゃないかと思う。
今は、上の子は来年から小学生だけど大丈夫かな?と心配しているから、いつも私は子供達を心配しているみたい。
もうそろそろ1年前になるな。昨年の7月25日
このアプリを使わせてもらうようになってから、あと
ひと月と一週間で一年になる。
思い返せば1ヶ月目、3ヶ月目、半年目と
過ぎる度に驚いていた。
大抵三日もたない坊主の私がなんでこんなに
ひとつ事を続けられているのか。
いや本当に不思議でしょうがない。
きっと今際の際に人生を振り返る余裕があったら
我が人生における三大珍事として
このアプリとの日々を思い出すに違いない。
(1年前)
1秒間に10億回も
パラレル移動している
そんな世界にいる
昨日の自分は
遥か遠いパラレルの自分
1年前なんて言ったら…
この瞬間というものが
過去から繋がってると
思い込んでるだけ
今の君と過去の君は
繋がってるわけではないんだ
過去を思い出せるのは
そこに君が意識を向けて
繋げてるから思い出せるんだ
そして
過去から抜け出せないのではなく
過去という1ページに
接続したままというだけなんだ
イメージで
過去の1枚に君の体から繋げている
コードを引き抜いて
君の体からもコードを引き抜いて
抜いたコードを光に戻してみよう
過去はわざわざ繋げて思い出すもの
その意識が君の中に現れてくると思うよ
一年前は何してた?
何を考えて、何に悩んでいた?
半年前は?二年前は?
思い出せることもあれば、思い出せないこともある。
楽しいも苦しいも、その瞬間以上に勝ることはない。
そんなことを思う時、
人生ってこういう日々の積み重ねなんだなぁって。
『1年前』
#13
1年前
「あの日からもう一年経つんだ」私は窓から見える夕焼けを見つめて呟いた。忘れられないあの日から一年が経つ、そう思うだけで心が苦しくなる。そして寂しさを感じる。
1年前の春、四月から高校生になるという時に私は衝撃の事実を聞かされた。それは私が中学三年生まで通っていた学童が突然閉所になった事だ。理由ははっきりわからなかったけど紙一枚で閉所のお知らせと題して閉所になった事が書いてあった。
その紙を見たお母さんが「えっ!学童が閉所になったって!」と驚きの声を上げた。スマホをいじっていた私は驚いて顔を上げた。「えっうそでしょ?」そう言ってお母さんの見ていた紙を見ると閉所のお知らせと書いてあった。お母さんは「酷いわ!突然閉所だなんて。しかもこの紙一枚で!」と言った。そして「四月からどうしよう」とお母さんは言った。私は高校生になってもその学童に通うつもりでいた。その後保護者向けに説明会が開かれた。
私は学童が閉所になる事も、もちろん悲しかったけれどそれよりもその学童の友達と会えなくなる事がもの凄く寂しかった。もうみんなと会えなくなるという絶望感が私を襲った。
「元気かな、みんな」私はそう呟いた。みんなと会えなくなってしまった事はとても寂しいけれどみんなが元気なら私はそれで十分かな。またどこかでみんなと会えますように。
1年前の今日なんて
どこにいて 何をして
何を食べて 何を見て
何を感じたかなんて覚えていない
みんなそうでしょう
手帳を遡っても空白
わかるのは土曜日だったということ
毎週土曜日いつも会う大切な人がいる
その人と出かけていたか、家でゴロゴロしたか
気になったのでライントークを遡ると
一緒に北斗の拳のスマスロやってた
前後のトークを読むと自分はちょっと熱っぽい中
一緒にスマスロをやりに行ってたらしい
1年経った今でも気まぐれに
大切な人とスマスロをやりに行く
幸せだね
1年前は腹の中で漂うのが常の生活だったな
クラシックとかいうものを聴かされていたがあれはいい 自分の聴覚の発達を感じられて心地よかったよ
それと母よ ときどき内側から蹴りを入れてすまなかった 身体を動かすことの楽しみを覚えてしまったのもあるが一番は反応が欲しかったのだ 未熟で申し訳ない
過去を振り返ってみると自身の圧倒的成長を感じるとともに力不足にも気付いた1年間だったな 今年は早く自立できることを目標にするとしよう
まずは「おぎゃあ」の発声練習から手を付けるとしようか
毎日がとても苦しくてたまらない
例えそれが夢の中でも
苦しくて 苦しくて
ただただ 苦しくて
辛くてたまらない
「一年前と今」
一年前は、ゆらゆらしてた。
今は、ユラユラしてる。
違い、あんのかな。
「1年前」
ふと、
私の行動に対して
疑問に思う事がある
それは、何気ない瞬間だった
いつも、している事
のはずなのに
私、スムーズにやれてる
……って
そう、感じた瞬間に
一年前の事を振り返って
可笑しくなる
あれだけ苦悩したのに……
習慣って凄い
何気ないことに
過去の自分にあって
自分を客観視する
成長の片鱗をみる
1年前は農業水産課で農業振興の仕事に関わっていた。農家さんや農協と関わり、農業の振興や地産地消の推進に励んでいた。仕事を通して、色んな出会いがあり、関係を築くことができたのが楽しかった。また、自分の仕事で感謝されたり、笑顔をもらえるのが、何よりもモチベーションに繋がった。嫌なこともあったけど、同じような仕事をしたいと思う。
1年前
海底に沈んだ船…
行き先も方位も見失い
いつの間にか沈没していた…
それから一年後の今
また航海に出たいと思える勇気が
少しずつ戻ってきた
風を受けて 行きたい島まで一直線
ヨーソロー
進め 振り返らずに
どこまでも どこまでも 心ゆくままに
1年前なんて、なにをしていたっけ。
毎日を生きるのに必死だから先のことも考えていないし前のことも覚えていない。覚えてないってことはきっと仕事に追われていたし、その時の悩みを抱えて走ってたんだろうな。
なんだかんだ言って1年経ってしまったらしい。いろいろ物事が進んだんだろうけどなんにもできていないような気がする。間違いなく言えることは新しく行ったお店がだいぶ増えて出会いがあったってことくらいだ。とりあえずはそれを積み重ねていってまた1年後新しいことが出来たらいいかなと思う。
とりあえずは目の前の課題と仕事を乗り越えて夏を満喫してやろう。
1年前
1年前の6月も今と同じように、身近な人のお誕生日のお祝い🎁🎂何にしようとか、父の日のプレゼント✨🎁✨ 何にしようと色々考えてたな。6月は、3人の身近な人の誕生日と父の日もあって、イベントごとが多いです。1年前と変わらず、お祝いできたり、イベントを行えることは、とてもありがたいです。
6月といえば、ジューンブライド。知り合いの若い子がいますが、今年こそは、良い話聞かせてもらえないかなぁと、毎年6月になると思います。
梅雨時期で、嫌々する気持ちも忘れさせてくれるぐらい、いろんなことを考えれる6月です。
1年前の私と大分変わった。という話は長くなるから、テーマからズレるが。
最近気づいたのは「点と点が線になること」と「線は地続きだということ」。一日一日を積み重ねて今日になっていて私を作っている。令和になっても平成の文化が消えるわけでもないし、今の時代を作る人には当然昭和・平成生まれの人がいて、子々孫々に意思は引き継がれる。
名前を付けたり区切ったりすると、簡単に分けてしまって、本質がわからなくなることを実感した。