『1年前』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
1年前。僕の父は脳梗塞からアルツハイマー型認知症になった。認知症とゆう病気。今の時代の現代病だと思う。ちょっとした物忘れを感じたらすぐ病院に行ったほうがいい。体の司令塔である脳の病気。僕は恐怖すら感じる。
どんなに嫌でも若いうちは仕方なく働いていたが、遂に耐えられなくなって会社をやめた。元々素早くも上手くも出来ない。年を取れば尚更だ。やめてみて、体調も心もそれなりに復調したが、また働く事になった。覚えなくてはならない事がありすぎて、初日で吐きそうになった。これから毎日つらい思いをしなくてはならない。苦しい。
1年前は絶望の闇に満ちていたのに
今は楽しい
一年でこんなに変わるんだね
人間って怖い
泣きながら進路希望調査票出したっけな。
医学部以外で県外には出さないって言われて泣いたっけな。
キャリア進みたかったけど諦めたっけな。
指定校に絞ってテスト勉強だけ頑張ってたっけな。
後悔はない。未来の展望だけがある。
タテカンも逍遥像も赤門もそのほかも全部後でいい。
まずは王道を走る。それから好きなことしたらいい。とりあえず資格さえ取れば、いくらでもなんでもできるから。
"1年前"
去年の今頃は山に登っていた。
とある言い伝えがある神社が、その山の頂きにあったから。
頂上への道は険しく、あまり整備されていない道を歩いた。
何故こんな所に神社を建てたのか、
速くなった鼓動の音がうるさい中、考えていたのを覚えている。
山頂につき、神社へお詣りをして、ふと周りを見て気がついた。
どうやら、隣山に続く道があるらしかった。
隣山は、神社のある山に比べて人が入れるよう整備されている。
案の定、その道を辿っていくと、隣山の下山コースに合流した。
隣山から登ったほうが、楽だったかもしれないことに気が付いて、
苦笑いを浮かべるしかなかった。一年前の出来事。
私は、授業をあまり聞かない人間でした。
好きな教科は割とずっと出来るのですが、嫌いな授業はどうしても受ける気分になれなく、その授業の時間が憂鬱でした。
親にも、ちゃんと授業を受けなさいと、口うるさく言われるのですが、私にはそれが、自分を貶している言葉にしか聞こえませんでした。自分だって分かっているんです。授業をちゃんと受けないといけないことぐらい。でも、どうしても嫌いな授業になると、心苦しくなるのです。その心苦しさを和らげるために、
少しの時間、うつ伏せになるのですが、当然先生は、
私がうつ伏せになっている理由が分かりません。
だから、普通に起こされます。そうされると、次は、
終わるまで授業を受けなくてはならなくなる。
と言うのが1年前の私です。
お題「1年後」
明日の僕はまだ僕でいられるだろう
梅雨の空から逃げるように
笑顔を浮かべながら友だちの話を聞いて
睡魔と闘いながら講義を聞いているだろう
来月の僕もそれほど変わりはない
少し忙しくなっているかもしれないけど
7時に起きて珈琲を飲むことに変わりはない
半年後の僕は仕事に就いているかな
雪の頃には少しは落ち着いてるかな
桜の頃にはもっと笑っていたいな
次の梅雨には
もっと
1年前の今日の日なんて覚えている人の方が少ないのだろう。
私自信、1年前に何をしていたのか全く思い出すことができない。
思い出すことができない中でも、その時期に何があったのかは覚えの悪い私でもはっきりと覚えている。
それは、この先1年経っても2年経っても、100年経とうが忘れることはないだろう。
まだまだ上手く歩けない小さな君が、私の好きな人の大きなお腹の中にいたんだよ。
ママと二人で生まれてくる君の名前を、一生懸命考えたんだよ。
ちゃんと産まれてきますように
健康で育ちますように
神様にもお願いしに行ったし、病院に行って君に会いにも行ったんだよ。
1年前に見た空も、景色も、食べたご飯のことも思い出せないけど、ただ君に会えることだけを考えていた、そんな1年前の今日
ただいま「 」くん、産まれてきてくれてありがとう
【1年前】
何もかも嫌になって、ぜんぶ投げ出したくなったあの日。
頭の中は常にボールペンで塗り潰した跡ばかり。
それでも、1年後今ここで、あの日頑張って良かった、
そう思えるなんて、1年前のわたしは知りもしない。
辛くて、辛くて下を向いていたわたし。
水溜りに映る自分を見て、ぼーっとしていたのが、
なんだか微笑ましくて、懐かしい。
今、水溜りを覗き込んでみても濁っているだけ。
あの日にはもう戻れないんだってこと、
知ったんだ。
空を見上げると、綺麗な虹が架かっていた。
ああ、下を向いてる暇なんてないや。
あの頃は、何をしてたっけ?
昔でもないけれど、振り返るほどのものじゃない。
何も変わっていないし、何か変わったのかもしれない。
何とも言いがたいけれど、そんなものでしかないのかも。
”1年前”は、一体どんな過去で、どんな未来を思っていたんだろう?
1年前
一年前の君は素朴で従順な人だった。幾らかの野心を抱えてはいれど、それはまだ私の理解に及ぶものだった。世界は平等で、この世を作るのは政治家ではなく神様で、人同士の営みが最も美しいものであると、心から信じて病まない純粋な人のはずだった。
それがたった一年でどうなったか。今や君は愛する者にうつつを抜かし、底しれぬ財欲に身を焦がし、数々の大作のことごとくを先人や同業者を嗤うために生み出す。私が言葉に出来ないまっさらな感情で惹きつけられた君はどこへ行ったのか。
伴侶の手の上にいないと満足に歩けもしないくせに、私よりずっと足場が高いのである。
毎年、変わりばえしない生活を送っている。
1年前といっても、特に何も無かったと思う。
まあでも、トラブルや体の不調が無いということで
平凡ながらも安定した日々だ。
この先もこういう生活でいい。
1年後も、その先もずっと。
「1年前」
1年前―――
私は学生だった。ちょうど学園祭の時期で自分の案が通って初めてリーダーという役割を担った。元々、人前で意見を言うことが苦手でまとめるのなんてもってのほか。それでもグループのみんなは助けてくれて本当に感謝しかなくて、最高の学園祭になった。
本当にこの時のクラスの皆は優しくて尊敬できて卒業した今も尚友達。
_1年前
1年前。
そう言われてもあまりピンと来ない。
1年前の今頃、私はなにをしてどんなことを思っていたのだろう。
どれだけ考えてもでてこない。
過ぎてしまえば1年はあっという間だと感じる。
けれど、こうして振り返ってみるとすごく昔のことのようにも感じる。
1年前はピンと来ない。
それにもかかわらず、
初めて動物園に行った4歳の日のこと。
連休前には必ずと言っていいほど毎年高熱を出して寝込んでいたこと。
母と大喧嘩してなきじゃくったこと。
小学校1年生、数え切れないくらい先生に怒られたこと。
覚えていることを書き出そうとすればキリがない。
でもひとつ言えるのは、覚えてる出来事って必ず自分の感動も一緒に覚えてるんだよね。
未知の世界への興味、辛さ、悲しさ、やるせなさ。
感動っていっても、すべてがプラスの感情とは限らない。
わたしだって、当時の気持ちで考えればあまり良いとは言えないものばかりだしね。
人って、嬉しいこと楽しいことよりも、悲しかったことやるせなかったことの方が覚えてる。
と、わたしは勝手に思ってる。
もちろん人によるけどね。
でも、わたしだって楽しい出来事を覚えてないわけじゃないよ。
さっき以上に多くなっちゃうから心に留めておくけどね。
まぁ、結局私が言いたいのは、今このときをたくさん感じて生きていきたいなってこと。
その分思い出が増えて、過ぎてからでも充実した1年だったなって思えるような気がする。
今年はそれを目標にがんばろっかな。
1年前
子宮筋腫の手術をして1年後。
私は、約2年前に子宮全摘をした。
筋腫であんなに大きかったお腹が小さくなって、やっと好きな服が、
いろいろ着れるようになった。
1年前何してたかな?
まだ恭もいたなぁ。
ケド生活は一変してたなぁ…
ケド
まだ一緒にいて
話したり笑ったりしてたかも
まさか
こんな風になるとは思わなかったなぁ…
恭と話して笑ったりしたいなぁ。
恭とも会いたいなぁって言うと
友達が怒るんよんね?
なぜかな?
ただ
tsutsuのこと
大好きな気持ちは1年前も今も
変わってないわ😊
#1年前
日記帳 めくるページの どこからも
遠くなりつつ 新しく ひと
#短歌 #書く習慣 20230616「一年前」
一年前。
私は崖の上で、自らの命を絶とうとしていた。
その時の、雄大な景色は今でも目に焼き付いている。
今もその時のことを思い出しては、あの場所にもう一度行けたらと願う。
もう、この場所には来ることはないだろうと考えていたあのころ。
あの時の方が、まだ移動できるだけの体力があったなんてと、嘆いたところで仕方がない。先のことはわからないし、当時こうなることなど想像しなかった。あの時にはもう戻れないのだから。
現に今、こうしてベッドから身を起こして窓の外を見るだけでも、骨がきしみ、体に酸素を行き渡らせる呼吸すらしんどくて、最近は眠っていることが増えた。
起きているとけもベッドに横になったまま、病室の扉をじっと見つめ続けることの方がずっと多い。
ドアがノックされて、病室に看護師さんが来てくれた。
「こんにちは」
看護師さんは私のベッドに近づき、やせ細った私の手をそっと握ってくれた。
「今日も来てくださってありがとうございます。このようなお見苦しい姿を見せてすみません」
普通に言ったつもりだったけど、合間合間で呼吸を荒らげてしまった。看護師さんの顔が憐れみを浮かべる。
「そんな事はありませんよ」
私の顔は苦痛に歪んでないだろうか。口調は乱れたものの悲壮感は溢れていないだろうか。
「ありがとうございます。こうしてお話できて嬉しいです。それでは体温測りますね」看護師さんは体温計を取り出す。
それから私と看護師さんは10分ほど話をした。
前は平気だったのに、今はこんなに話すと疲れる。
それを見て取ったのか、看護師さんはまた来ますね、と言って病室から出た。
病室には、私がいつでも本が読めるようにと、家族や友人が沢山私の蔵書を持って来てくれている。いけられた花よりも、本のほうが多いくらいだった。
最初は自分で開いて読みふけっていたけれど、今となってはお見舞いにきた人に朗読してもらっている。本を持っているのも、読むのも体に負担がかかるから。
自分は、本当に長くない。
もうあと一ヶ月持てばいいかも。
そんな中、私の親友がお見舞いにやってきてくれた。いつものように朗読を頼む。
今日のリクエストは、今までたくさん読んできた医学書や学術書でもない、幼い頃に読んだ詩集の中で一番好きな詩にした。ぼろぼろになったその本を手にして、親友に読み上げてもらう。
読み上げてもらいながら、私は目を閉じた。
大好きな海を、もういないあの人と手を繋いで歩く夢を見た。あの人が笑う。私もつられて笑った。
「いつか あなたと うみを みたい」
最後の行を読むたびに、私の目から涙が落ちる。自らのことを忘れられる。
「ありがとう」
そして私は親友を見送って目を閉じる。
それから私は、お見舞いに来るたびにその詩の朗読を頼んだ。
その人のそれぞれの声が紡ぐ同じ詩は、まるで同じ色がない海のように、私の心に響いた。時には、穏やかに。時には、嵐のように。それは私の心の波を受けて、凪いだり荒れ狂った。
それから自分が思う以上に長くなってしまったけれど、今でもこうして詩を聴き続けている。
体が思うように動かず、食事の味がわからなくなっても、花の匂いがわからなくなっても、目が見えなくなっても、それでもまだ、私の耳には大好きな、あなたとの思い出がよみがえる音を聴く。
『いつか あなたと うみが みたい』
今日のお題:一年前
昨日のお題:好きな本
全てフィクションです。
詩は自前です
1年前
6月でも暑くて私は猫の夏バテを心配していたっけ。今年はもう心配すらさせてもらえない。暑くも寒くもないところにいってしまったから。
なくなって半年たつけどペットロスは波のようにやってくる。悲しさと寂しさのスイッチがいきなり入る感じ。
ぽっかり空いた猫形の穴はたぶん猫でしかうめられない。けれどそれは思い出を上書きしていってしまうから一歩ふみだせない。
もちろん違う命。わかってはいても記憶は薄れていくし。だからこそまだ大事にしたいと思ってしまう。
でも私はとうに知ってしまった。猫とともに暮らせることのさいわいを。
1年前
まだ母は、生きていた。
病院に入院していた母。
コロナで面会も中々できない日々。
会えなかったけど
「居る」って思った。
母と会話できなくても
母が病院に居る。
それだけで支えになっていた。
今母がもうこの世にいないという
現実。
もう会話できないこと。
理解しているはずなのに
まだ病院に居てベッドに横たわる母が
浮かぶ。
今朝、どしゃ降りの雨だった。
庭に目をやると
母が育てていた鉢植えに
ホタルブクロが雨に打たれながら
咲いているのを見つけた。
母が好きだった花。
母の命は、消えたけど
こうゆう形で私の元に
やって来た花。
あぁ、やっと泣ける。
やっと悲しむことができるよ。