『遠い日の記憶』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
遠い日の記憶
たった数時間前の事ですら
遠い記憶
ほぼ、ない記憶
あまりにも
腹立たしい事から
もうなくなった記憶
初恋の
人に振られて
外見れば
辺り一面
雪景色かな
/遠い日の記憶
『君を手放した罰』
夏祭りは嫌いだ。
風で回る露天の風車、屋台のライトに照らされてテカテカと光るりんご飴、当時のヒーローアニメの絵が描かれた綿あめの袋。楽しそうな人々と相反する物哀しさが神社に向かう石畳を歩くたびに蘇る。いやでも毎年思い起こしてしまう。
あれから、僕のそばに君はいない。
あの年の夏祭りまでは僕らは幸せだった。幸せすぎて怖かったほど順調だった。僕らはあの年の秋から同棲することが決まっていて、同棲を通り越して将来のことを語り合った。僕は君への片想いが高じた独占欲丸出しで、きっと君も困惑したと思うけどそれでもそんな僕が好きだと言ってくれた。矢絣の浴衣を着た君は大人っぽくて、特別可愛くて。こんな素敵な彼女がいるんだと胸を張る気持ちもあって、僕は有頂天になっていたんだ。
何故あのとき無理やり君を奪い返さなかったんだろう。偶然会った元彼を前に固まった君の瞳を何故遮らなかったのだろうか。
僕が君を五年間かけて見ていたように、君もあの男を何年も想っていたのは分かっていた。
片思いの苦しさを知っていたが故に理解のある男を演じた滑稽な僕は今になってもあの時の選択の罰を受けている。
あれから十年以上経つ。それでも僕は君のことばかり。いや、そうじゃない。君の面影を追い求めているそんな自分に酔っているかもしれない。
君の笑顔はもう思い出せない。思い出せるのは、あの男に指を絡ませて歩く君の後ろ姿。
風が吹いて風車が一斉に回るあの風景を僕はまだ忘れることができない。
#遠い日の記憶
遠い日の記憶
故郷によく似た街を歩いた
どこか支離滅裂で
人は少なかったっけ?
通りにあった店に入って
おじさんからヨーグルトの入ったクッキーを
もらえることになった。茶色くて味の想像はできない
でもきっと美味しい。さあ食べる。
その時こっちの世界に来た。あともう少しだったのに
たまにあっちの街に帰れることがあった
最後の記憶は人がいなくて曇り空
嫌いなクラスメイトの家が
某チェーン店に似た廃墟になっていた。
プールに行こうと思って長い距離を走った。
雨が降ってきて必死にスマホを握りしめて走った。
ごみ収集車がバスに変わる。人が並んでいる。
やっぱり家に帰ろうと引き返した。
家に着く頃には雨は止んで
そして…あれ?なんだっけ?
思い出せない。あの世界から遠く離れてしまった。
また行けるだろうか。
近頃はあの世界に飛べていない。
#遠い日の記憶
学校の図書館で
司書の先生がキミに向いてる、とオススメを教えてくれて読んだ。
楽しかった。
市立の図書館で
大人が読む様なコーナーの分厚いオススメの本を見つけて読んだ。
子供だと思ってても
大人と同じくらい賢い脳味噌が付いてるんだぞ、と言いたくて。
読んだのは
「ダ・ヴィンチ・コード」
ネズミの描写がありましてね、ちょっとゾッとしました。
ビビって開いて閉じて慌てて脳味噌の映像を消して、開いてビビってを繰り返して。
なんとか読み終えました。
今でもうっすらとトラウマです。
あの時、あれを選んだ自分のセンスと読み切った根性を今でも褒めてあげたいです。
余談ですが
数年後にテレビで観たら余計、でした。
ビビり散らかした記憶が舞い戻って来て、ビビり散らかしながらテレビの前でぎゅっとシャツを握り締めて観ました。
面白かったです。
遠い日の記憶
稔美乃は転校してきた。転校して席の近かった水野とよく話してた、その時からだ、関係性がおかしくなったのは
稔美乃は偏見とかイメージで人の好き嫌いを区別する子、だからね、今も
自分は梨音が悪い性格の奴には見えない。水野と未穂と遊ぶ時は必ずと言っていいほど稔美乃が来る、水野も梨音と仲があったが、稔美乃の為、と話さなくなった。味方は少ない、稔美乃は明るく誰にでも話しかけられるため
梨音の悪い印象が吹き込まれ、皆
梨音と話さなくなった。水野と話したとき、水野が言った「稔美乃が来てから変わったよね、」とね、違和感があったのは自分だけじゃないと分かった。
稔美乃が悪い訳でもない、
梨音が悪い性格じゃないと分かってくれるのは、1人だけ、
1番楽しかったな、″3人″でいたときが、
詩(テーマ)
『遠い日の記憶』
私には、昨日という1日が
遠い日の記憶のようだ
素麺は茹でたらゴシゴシ洗う
錦糸卵には片栗粉
幼い記憶は昨日のようだ
母さんの味噌汁も得意
私には、今日という1日も
遠い日の記憶のようだ
年月じゃない、心の距離だ
今は孤独で、砂漠に1人
【遠い日の記憶】
遠い日....
弱虫でなにかあったらすぐ泣く
泣き虫だった
でも今は違う
もう変わったんだ
遠い日と今は違う
人間は1日1日で成長してる
遠い日の記憶
遠い日の記憶に、とらわれている
思い返しては勝手に苦しんで
自分の行動を制限している
だけど物的証拠と照らし合わせると
学生時代の成績は記憶よりずっと良かったし
告白されたのは眠りながら見た夢の中のことだった
手紙の内容も記憶と全然違った
私の過去は妄想であふれていた
とんだキチガイだ
この世は幻だという話もあるけれど
自分の色眼鏡で好きなように見ていたんだ
私を傷つけたのは私だった
遠い日の記憶
失敗してしまったことを思い出して私は責めてしまう時がある。でもある日、そんなことを遠い日の思い出として笑えたのなら、
てか記憶違いもまあまあ有るよね〜
(IKKOさん風にお読み下さい…笑)
(遠い日の記憶)
遠い日の記憶
一人ぼっちで新聞紙で剣を作ってた記憶
おままごとで犬役をしていた記憶。
今も人の輪に入れない。
本質は変わっていない。
それでもいい。
自分らしく生きていこう。
遠い日の記憶=過去。
思い出したくないことばかりでいっそのこと全部忘れ去ればいいのにと思うけど、あの子との記憶は忘れたくない。
誰にだってひとつはあるはず。
この先何があっても私の中にずっと残って、思い出した時には必ず背中を押してくれる。そんな遠い日の記憶が。
水素になって宇宙を旅している
友達を訪ねるように惑星に行くのだ
城主を守る姫のように土を掘るのだ
一人であって一人ではない
背負う大きさは温かさだ
満面の笑顔で戦おう
不愉快さはこれぽっちもない
私を待っているあの頃のように
遠い日の記憶75
お題︰遠い日の記憶
ただ単純に学校生活を楽しいと思っていた
世の中への不満、疑問なんてなかった
そんな遠い日の記憶
遠い日の記憶
私の中の1番古い記憶。
両親が泣いている私をあやしている。
記憶違いでなければ私は両親に愛されていたのだろう。
しかし両親は変わってしまった。
今の私は愛されていない。
私が何かしたのだろうか。
愛されなくなったキッカケに覚えはない。
この先私が愛される事はないだろう。
私にとって両親と共にいる事は苦痛でしかない。
愛されていた記憶がなければ、もっと割り切れるのだろうか。
遠い日の記憶、私は昔、神様に溺愛されていた。
それからと言うと
色んな種族が暮らして平和な世界だった。
"貴方はどこですか?"
約束をしたのに
まだ貴女に会いたい気持ちが抑えられません。
貴方と居た世界に戻りたいです。
どうか私を救ってよ、神様。
「遠い日の記憶。あの深い森で道に迷った時、僕は初めて気付いた。道に迷うことは、己を見つけるための旅であり、迷いながら進むことで自らの可能性に気付いていくのだと。」
遠い日の記憶
小学1年生の頃、恐竜が自分の住んでいる町を襲い踏み荒らす夢を見た。しかも博物館で見た骨のティラノサウルス。
目が覚めた時怖くてこわくて正夢になったらどうしようと不安になって母を起こして夢の内容を聞いてもらった。夢を話すと正夢にならないと聞いていたから。
母は「あら〜大丈夫大丈夫」とちょっと適当に答えたけれど人に話せたことに大いに安堵しその後はちゃんと眠れたはず。
未だにふと思い出す。巨大な骨のティラノサウルスが町を襲っている様子を一枚絵で詳細にはっきりと。よほど衝撃的な夢だったのだ。
今同じ夢を見たら「おもろい夢だった」で済ましてすっかり忘れてしまうだろう。
自分にも純粋な頃がたしかにあったのだと思いを馳せることができる遠い日の小さな記憶。
お題「遠い日の記憶」(雑記)
このアプリで書いている話がどれも昔の記憶だからなぁ。
特別に記憶として思い出す内容がない。
とか書いていたんだけど、ちょうど今さっきネタが落ちてきたというか製造してしまったというべきか。
毎年五月末、父の実家のお寺で父方の曽祖父と親交があった、歴史の教科書に載る有名人の追悼法要を催している。
曽祖父の友人(一応こちらも同じ分野の有名人)と後に結婚したという縁もあり、小学館から刊行されている「まんが日本の歴史」シリーズ(多分)に数コマだけながら曽祖父が出てきた程度には有名な交流関係。(読んだ当時の同級生には信じてもらえなかった)
で、日付は忌日だから毎年固定で、平日でも土日でも無関係。
中学二年だったか、ちょうど土曜日だか日曜日だかにその忌日が当たったから、行ってみたいと頼んで、同じく参列する父とは別に行く事になった。
他県在住で当時ネットも携帯電話もなく、高額を子供に持たせるのはどうか、という事から片道の交通費+αぐらいだけ持って行った。
(今から思えばテレフォンカードぐらい持たせろよとは思う)
私鉄1→JR→私鉄2の乗り換えの最後の私鉄の、途中駅で降りるべきところを「○○行き」の○○だけを覚えていたため間違えて終点まで行ってしまった。
気づいたのは駅を降りてから。最後の百円玉で実家にその旨を伝える電話を掛けて、後はひたすら線路に沿って沿線を歩いた。
どれぐらい掛かったか記憶になかったが、今調べたところ一時間半の道のりらしい。
2000年頃の当時は、今みたいに地球温暖化とかそんなに騒がれていなくて、五月末でもそんなに暑くなかった、はず。
お金も連絡手段もないから歩くしかなかったんだけど、水分も買えなかった記憶が辛うじてある。
電話に出た母から父の実家宛ての伝言ゲームに失敗したのか、「終点まで行ったから折り返して間に合わない」と伝わったらしく、叔母からは「駅に行ったらちょうど電車が来たから、あれに乗っているのかと思って帰った」と言われた思い出がある。
二時からの追悼法要どころか、その後の記念行事が全て終わった四時頃にようやく父の実家に着いた。
なお、最寄り駅から徒歩五分ぐらいある上に土地勘もはく、ついでに私は方向音痴なのだけど、追悼法要のお陰で「○○忌会場 ○○寺はこちら」と案内看板が出ていて、駅からは迷わずに済んだ。
そんな思い出が今日蘇った。
初めて降りた駅に買い物に寄ったのだけど、帰りはGoogleマップで見る限り電車の線路沿いだったせいで、線路から時々大幅に離れた道になって方角がわからなくなるのが怖かったのが原因。
私鉄も割と線路が見えなくなるぐらいに離れる場所があった。(父はなぜかその事を知っていて、よく迷わなかったなと言われた思い出)
駅のホームは見えているのに改札が全く見当たらなかったせいで結局駅を一周してしまい、目的とは逆の改札を通る羽目になった……。
私が電車を降りた時に出たの、南出口だったんだけど!?(方向音痴な上に記憶力はない。Googleマップを見れば良かったと心底後悔した)
買い物は、明日使いたいなと思っていた目的のものは完売していたらしくて見当たらなかったけど、代わりに情報を得るのが遅くて他のお店で完売していたものが色々見つかった。わぁい衝動買い!