『誰かのためになるならば』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
毎日仕事をしたり勉強をしたり
誰からも気遣ってもらえずに
全然自分のために使える時間がなくて
身も心も疲れきって
ポキッと折れてしまいそうになることがある
何のために私は生きているのか
どんな将来のために今を生きているのか
正直よく分からないし考えたくもない
でも
普段誰からも声をかけられなくても
自分が働くことで救われている人がいるかもしれないと思うと
嬉しいような照れるような不思議な気持ちになる
そんなことを考えていたら
今日もまた
1日が過ぎている
記す文章以外を何も知らない
偶然見つけたその“誰か”のためになるならば
ここで伝えさせてください
あなたの日記がなんとなく好きです
このアプリの“お気に入り”を開いたときにしか
思い出さないくらい頭の片隅ですが...
その度に、あ、お気に入りにしててよかった
と思うくらいには好きです
毎日ありがとう
愛だけじゃ救えないけど愛がなきゃ何も救えぬ想いで募金
題-誰かのためになるならば
く
ぎ
ら
れ
た
空
く
ぎ
ら
れ
た
空
く
ぎ
ら
れ
て
か
ら
は
空
で
あ
る
空
の
空
自分が何かをすることで、誰かが救われるのなら、もちろんやる。
以前の私にはそんな信念があった。
でも不可能だった。
私の力があれば救かるかもしれない、そう思って伸ばした手。
視えない心に対する恐怖は目に見えない。
結果私は人を殺した。
どんどん息をしにくくなって、
だんだん人を信じられなくなった。
ずんずん重くのしかかる心が、
がんがんと私の脳を揺さぶった。
こんな最低な自分なのに、それでも愛してくれる人がいた。
誰かのために走って、
誰かのために傷ついて、
誰かのために辛くなったことには、意味があったのだと思った。
君のためになるならば、
私はどんな苦痛にも耐える。
君の"愛"のためになるならば、
#2024.7.26.「誰かのためになるならば」
hrakヴィラン紳士とそのお相手。
ブロッコリーくんとか平和の象徴が先に頭をよぎったけどこうなった。
ラブちゃんみたいな頭脳が欲しいよ( ༎ຶŎ༎ຶ )
君の愛になるなら、君からの愛になるなら。
「誰かのためになるならば」 2024/07/26
誰かのために何かする
自分が好意的に思ってる相手ならしてあげたい
見返りを求めてする訳じゃないけど
してくれない人にはしてあげたくないよね笑
そうゆう人は自分の "苦手な人" に当てはまる
苦手でも態度には出さないし
助けを求められたらどんな人でもしてあげる かも
人には優しく平等に
大好きな人には それよりもっと大切にしたい
時にはちょこっと 意地悪でも笑
誰かのためになるならば全力でしてあげよう
お題《誰かのためになるならば》
命を懸けることは終わりじゃない。
誰が咎めようが、正しさがそこになくともいい。
――だって世界は全然綺麗じゃない。世界の美しさには、毒が必要なのだから。
どうか笑顔で。
どうか幸せで。
俺はいくよ。この空の果てへ。
必ずたどり着いて見せる、誰もが笑顔でいられる楽園へ。
誰かのためになるならば、と、たまにはカッコつけてみる。それでもやってみると、心が満たされるのはなぜだろう。
私はいま介護助手として働いています。
資格なし·未経験·学歴はほぼ不登校·事故歴あり·人の心を傷付けた·死のうとした·挑戦せず何度も諦めた。
こんなのが人を助ける仕事をしています、
僕に今だから分かることは一人では生きていないこと。
とても弱くて、今すぐにでも崩壊しそうなアイデンティティの僕には支えてくれる人達が必要だから。
「ただ人を笑顔にしたかった、いつも相手と自分の幸せのために」
これからもこの気持ち大切にします、
もっと生きていたいから、多くの人と会ってみたいから、大好きな人をもっと覚えていたいから。
なりふり構わず投げうって
私がなくなってもいいなって
そんなふうに思ってた
大切な大切なそんな誰かのために息をして
───────誰かのためになるのなら
私は優しくし続ける時には嫌なことは嫌と言ってそれが誰かのためになるなら
『誰かのためになるならば』
一旦置いときます
いつか執筆する!!絶対!!!
「誰かのためになるならば」
私には、言えない題材かもしれない。
「誰かのために」何が出来るかは、わからないけど
世の中には、色々あると思う。
自分自身が、できる範囲でしたいものだ。
まずは、8/5(月)~14(水)の「なら燈花会」のサポート
をやり遂げようと思う。
今日のお題。誰かのためになるならば。
ムリパス!パスでお願いします!
誰かのためになるならば
毎日、ここで投稿している。
私のくだらなくて、稚拙な言葉で綴られた文章で、少しでも誰かが笑ってくれたらいいなと思っている。
教養も何もない良い歳した女が、孤独に何処かで生きているという滑稽な様を知ると、なんかこう、読み手の方々は「この人よりはマシな人生送れてるわ」と自然に自信がつくのではないか、という思惑もある。
大いに結構だ。
反面教師と言うか、踏み台にして頂き、また存分に嘲笑って欲しいと思っている。
これが、憂鬱な毎日を生きる誰かのためになるならば。
正直なことを言うと、私のどうしようもなく馬鹿げて愚鈍な日々の出来事は、ここでは書ききれないくらいある。
いつか、何処かでお披露目することが出来ればもっと笑ってもらうことが出来るのに、なんともどかしいことか。
いや、封印すべきか。
end
#誰かのためになるならば
溢れる涙はだれのため
煌めく微笑みはだれのため
誰かのための自分でありたい
誰かのために生きる価値を得たい
そうあることを望まれて
そうあるために生きてきた
でもその為に
自分を隅において追い詰めて
泣いてもがいて苦しんだ
そんな長い闇を抜けた今
云えることがある
誰かのためになる自分なら
自分を愛せなければ
弱い自分を許せなければ…
自分の為に活きるとき
誰かのためになるならば
本当の喜びを分かち合える
《誰かのためになるならば》
誰かよりも
自分自身のために
わかば
━━━
《誰かのためになるならば》
あなたのために、と…
そう思ってきた
他人軸の私
もっと素直になればよかったな…
あおば
誰かの為になるならば
と思い残業した。
誰かの為になるならば
と自分の気持ちに蓋をして
誰かの為になるならば
と頑張り続けた私。
結局誰かのと思っていた思いは
自分の為だった事にも気づいた
気づいた時には
自分から仕事を辞め
仲間から離れた
離れたから
気づいた私。
自分の為に
生きていこう。
それが必ず
誰かの為になる
誰かのためになるならば
誰かのためになるならば、そう思って町の人の手助けをしているといつの日からか聖女と呼ばれるようになった。
そんなつもりはなかったが、自分の行いが誰かのためになっている証を貰えたようで照れくさくも嬉しくなった。
しかし、ある日いつものように手を差し伸べると“偽善者”と言われ睨まれた。
頭を強く叩かれたような衝撃と自分のおこないが偽善的に見えていた事への悲しみが体中を巡る。聖女などと担がれて、私は調子に乗っていたらしい。
――傲慢だったのだ。誰かのためになるならばなどと思い、声をかけ手を伸ばすことなど。それは、私のただの自己満足だったのだ。
ぼたぼたと情けなく涙が溢れる。なんて弱い。
きっと本当の聖女なら追いかけてでも助けるはずだ。しかし私の足は地面に縫いつけらたように動かない。
……ああ、町の皆さん、神様。ごめんなさい。私はただの偽善者でした。
日々家
[誰かの為になるならば]
誰かの為になるならば…優しくしてきた、尽くしてきたし、我慢もたくさんした、傷ついてもぐっとこらえた
そんなに人の為の人生でした
今は自分の為に天国へ行きたいって思う