誰かのためになるならば
誰かのためになるならば、そう思って町の人の手助けをしているといつの日からか聖女と呼ばれるようになった。
そんなつもりはなかったが、自分の行いが誰かのためになっている証を貰えたようで照れくさくも嬉しくなった。
しかし、ある日いつものように手を差し伸べると“偽善者”と言われ睨まれた。
頭を強く叩かれたような衝撃と自分のおこないが偽善的に見えていた事への悲しみが体中を巡る。聖女などと担がれて、私は調子に乗っていたらしい。
――傲慢だったのだ。誰かのためになるならばなどと思い、声をかけ手を伸ばすことなど。それは、私のただの自己満足だったのだ。
ぼたぼたと情けなく涙が溢れる。なんて弱い。
きっと本当の聖女なら追いかけてでも助けるはずだ。しかし私の足は地面に縫いつけらたように動かない。
……ああ、町の皆さん、神様。ごめんなさい。私はただの偽善者でした。
日々家
7/26/2024, 11:32:11 AM