『街の明かり』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
【街の灯り】
いつものように帰路につく。ふと、空でも見ながら帰ってみようと思い立った。晴れているし、昨日は七夕だった。綺麗な星が見えるだろう。ここ最近は忙しかったり落ち込んだりで前や下ばかり向いていたからいっとう綺麗に。
パッと上を見上げると漆黒の空に輝いているであろう星は街の灯りに負けていた。光で霞んではっきりとは見えない。途端に落ち込んだがいい香りが鼻腔をくすぐる。カレーや唐揚げ、ラーメンの香り。刺激されたのかお腹が鳴る。
「今日はカレーを食べて帰ろう」
少し急ぎ足で家の近くにあるカレー専門の店へ向かう。値段が少し張るが気にしない、疲れているし欲求には勝てないのだ。
「星は見れなかったけど街の灯りも悪くないな」
何を食べようか考えながら街の灯りを頼りに歩いた。
街の明かりというと、人は大体夜の街の明かりを想像するかもしれない、だが、わたしは明るい時間帯の街にも明かりはあると思う。なぜなら人の気持ちが明るければ、それも明かりと言えるのではないかとわたしは考えるからである。
いつかは世界中に明かりがあふれる時代がくるのだろうか、そんな疑問が次々わたしの中であふれてくる、、、これが生きてるということ。
大都会では眩しいくらい明かりが多いらしい
眠らない街とは言ったものだ
だが、田舎の方では市の中心地でも薄暗い所は多い
田園地帯では明かりがある方が少ないくらいだ
そんな所でも小高い山に登れば
街の明かりが作るそこそこの夜景が見れる
100万ドルには到底及ばないが
人々が作る地上の宝石はきれいだ
日没が近づくにつれて、
マンションや家々に灯りがともりはじめ、
お店の看板も輝きだす
電車の窓から見慣れた街の明かりがみえると
どこかホッとする
見える景色は同じでも
冬の明かりは、あたたかく包みこむようで
夏の明かりは、ほんの少し気分を上げてくれる
街の明かりの数だけ
幸せの明かりも灯っていきますように
97:街の明かり
真っ先に浮かんだ
ブルー・ライト・ヨ◯ハマ/いしだあゆみ
自分が生まれるよりも一昔前の楽曲だのに…
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伏せ字にしなくても良かったみたい笑
この歌を度々耳にしては
ちょっとだけ背伸びして
アンニュイな遠い目をしていた…かも
(街の明かり)
「こんなこと言ったら失礼だけど、」
「私が言っていい立場じゃないけど、」
から始める人いるけど、何の為に言ってるのかな。
それ言ったからといって、何の効果もないんだが。
むしろ自覚した上で言うってことなので悪質です。
(今回はぼやき回です)
『街の明かり』
私が住んでいる街はとても田舎
明かりなんてほとんどない
娯楽なんてない
でも、その闇の中で
我が家は明るく私を待っていてくれる
なんだかんだ家が一番落ち着く
私の心に火を灯してくれる場所だ
白昼は人々が行き交う、賑やかな場所を
灯りが消えたこの時は、月夜だけが眺めてた
---二作目---
人々が夢に堕ちる時
世界は暗闇に染まってる
でも、広い世界を見詰めれば
暗闇に染まりきれない
涙の光が、灯ってる
#街の明かり
352作目
一周年記念まで...あと12日
帰り道 眼鏡外せば 万華鏡
イヤホンをして 思い出す息
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近視乱視と長年仲良くしているため、眼鏡やコンタクトが欠かせません。うどんやラーメンで曇るし、コンタクトは充血して火星人みたいになるし、外せばやたらと目つきの悪い人になるし、視力は良いに越したことはないのですが、ただ一点好きな時があります。
仕事に、人間関係に、あるいは自分に疲れた帰り道、街の明かりを見て、あの明かりの下には自分より立派な人がとか、あの店の営業方法はとか、仲良さそうに歩く人々とか、余計な感情に巻き込まれそうになった時は、眼鏡をそっと外します。
ピントを失った私の視界は、無機質な街の明かりさえ、ボヤけて水玉の万華鏡のよう。ネズミーランドのエレクトリカルパレードの中を歩く気分で帰路に着けるから、その時ばかりは、私目が悪くて良かったなと思うのでした。
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ネオンガスによるネオンライトが絶滅危惧種になっても、LED ネオンライトとして名前が残ってるんですね。ちょっと良いな。
今宵
私は歩く
いつもと同じ道を。
―ほんとはこのまま…ね
いつでもいいんだよ。
ただ今まではいけなかった。
今日こそ。
街の灯り
見知らぬ街の灯り…
ホッと彩る
懐かしいきもち
あなたは
お元気でお過ごし
でしょうか?
街の灯り 地域や住む所によって夜の明かり全然違うね!
走りに行くとき明るくないから危ないし!
明るいところは最高だけどな〜
ロマンチックなところは良いよね~!
町の明かり
ビルの上から見る町は、光に溢れていた。
仕事をしている気だるげな明かり。
晩御飯を食べる和やかな明かり。
消し忘れかな、孤独な明かり。
よく見れば、そんな感情が渦巻いている。
人々が作り上げるこの景色は、とても綺麗だ。
「街の明かり」
街の明かりは安心する。
私は仕事を終えると明るい街から暗い田舎に帰る。
街灯の少ない暗い道を車で走って帰ると、
たまに不安になる。慣れてる道でも。
だから街の明かりはホッとする。
ホッとして、たまに車のライトをつけ忘れることも。
気を付けないとね。
夜ぼーっとしながら歩いている時がある。
そういう時は、建物の形がぼんやり分かり、色の区別はできるくらいで、目のピントが完全にはあっていなかったりする。
その時にぼんやり見える夜の街の灯りが綺麗で好きだ。
街の灯りが灯る頃、虫たちが明かり目がけてやって来る。そして、ブンブンと踊り踊って夜が明けてゆく。疲れた虫たちは、昼間は木かげでゆっくり休むのだろうか、お疲れさま。
にぎやかな街の明かりに慣れていた。
いつも行く、あの駅もこの駅も、終電までは常に明るく、夜道が怖いと思った事なんてなかった。
けれど今は、ひと度夜になると外は暗く、どうしても夜歩きしなければならない時など、夜の深さに慄いてしまう。
だけど安全な窓から眺めるこの街の明かりは、ささやかながら暖かく、今日も人々の静かな夜を照らしている。
街の明かり
街の明かりは綺麗だ。見ず知らずの人が生活していることがわかる人工の光。人が生きるために必要な光。私はこれからも見ることができる光。
きちんと感謝して生活しよう
夜の山下公園が、一番好きだ。観光地ではあるのだけれど、商業的でなくて、それでいてライトアップが美しい。
5年前にはすでに、たくさんのカップル、それも男性同士や女性同士もいて、静かにそれぞれが肩を並べて過ごしていた。
だけれど私にも私なりの過去のストーリーがあり、今行くと胸が痛くなる。そんな気持ちになる場所だ。
まさにブルーライト・ヨコハマと重なる景色。
でも過去は過去であるし、私は真っ暗闇の今の田舎での古民家暮らしも、寂しくはなるがこれが本来の暮らしでもあるよなと思い眠りにつく。
街の明かり
近くに街ねぇよ
街の明かりってどんなものだろ
綺麗なんだろうな