『神様へ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
神様に聞きたいことがあります。天国と地獄ってあるのでしょうか,ないのならばつくってほしいです 僕が地獄に行くために。
神様と言われても、何か具体的な事物が浮かぶわけではない。
かと言って、無神論者になれるほど心が強いわけでもない。
祖父母の家には仏壇があるし、正月は神社へ初詣、盆は寺へ墓参り、クリスマスにはケーキとチキンで一週間後にはまた正月。ケルト発祥のハロウィンも一応楽しんで、セントウァレンティヌスの斬首日にはチョコをばら撒く。
それでいて、ピンチの時には「カミサマ助けて!」なんて言ったりもする。
じゃあこの時祈ってる「カミサマ」って何だろう。
信ずる者がいて初めて「神」が成り立つなら、逆説的に祈っている先は自分の信ずるものなんだろうか。
困った。そうだとしても、具体的な事物が浮かばない。
本当は信じているものなんて無いから、だからいつもいつも助けは来ないし願いは叶わないのか。なるほど。
これから先も「カミサマ助けて!」は使用予定だけど、それが名も実も無い空虚への呼びかけであることは自覚しておこうと思う。
#神様へ
雨音と うら寂しさと 花明り
心満たせぬ 月霞む夜
(詞書)
恋人に新しい学校の友達関係が順調という話をされて、
勝手に距離を感じては寂しくなる。
雨音が響く夜空を見上げれば遠くの月が霞んでいる。
花明り=淡い恋心
恋人を月に例えた、距離の短歌
神様…どうかお願いします…せめてこの恋だけは、叶えさせて下さい…生まれて初めて、彼氏に愛されてる自覚がした…生まれて初めて、心からこの人と幸せになりたいって思えた…生まれて初めて、未来まで描けた…生まれて初めて、本気の恋をした…彼との"初めて"が増える度、私の想いも膨らんでいく…どんどん彼に夢中になっていく…この気持ちは、"辛い"んじゃない…"好き過ぎて辛い"方の"辛い"なんだ…神様へ。改めてこの場で彼との未来を約束し、誓います…
母は、父を愛することを止める代わりに「神様」を愛することに決めたようだった。
子の私を愛することは止めなかったようだ。何故なら、私はその「神様」に引き合わされたから。母が「神様」と呼ばう男を、だらしなく膨れた腹とだらしなく緩んだ顔を睨みつけて、私は呟いた。
神様、母を返してください。
「神様へ」
「神様へ」
雨で冷たくなった身体を
どのようにして温めたらよいのか
ずぶ濡れになった心から流れる涙を
どのようにして乾かしたらよいのか
僕が、僕を愛することができたなら
少しは、この街でも光をみつけられる?
僕が、誰かを愛することができたなら
少しは、僕を許すことができますか?
僕が、僕を許すことができたなら
また、僕は誰かを愛することができたなら
先の見えない真っ暗なこの街でも
僕は、誰かと手を取り合って光を
さがし求めることができますか?
もし、神様が存在するのならば
もし、神様へ祈りを捧げられるのならば
僕は、僕を許すことができますか
神様へ
生まれてこれてうれしいです
ありがとう
人って「こうだ」と言ってるけど実際には心の奥底ではなに考えているか分からない、
自分もそうだ、言葉には出しているけど実際には違うことおもっている、人間は生まれたときから嘘を吐いてるんだとおもう、いや、嘘を吐かなければ輪に入れないのだすぐに、
「変な子」「身勝手な子」「自己中」「空気読めない」と言われてしまう、個人の尊重があるといいながら可笑しな話だ、所詮その尊重も実際には穴を開けてしまえば建前でしかない、
扉を開けると、上の言うことには聞かないといけない、ただそれだけしか残らない、全くもってなんのために個人の尊重とかあるとかわからない。
はい、そうです。
皆さんの願いごとを神様に届ける仕事ですね。
うん、多いですよ。
季節的なものも多いですけど、
基本は恋愛とお金の二つです。
恋愛はねぇ、まだ、何とかなるみたいですよ。届けた願いが叶う場合もありますので。
え?
お金は難しいんですか?
まぁねぇ、総量って決まってるじゃないですか。
全員が一億円欲しいって願っても、全員には配れないじゃないでしょ?
無理無理無理
お金は無理だって、
だって、10年間、毎日給料上げてくれって神様に願い出しても、ちっとも上げてくれないんですよ。
あの子をこれ以上泣かせるなら
わたしが神様になりたい
神様へ、
どうして人はこんなにも
不平等なのですか?
どうしてよわい人が先にいなくなっていくのですか?
どうして平等に作られたほずのこの世界で
不平等に人が居なくなっていくんですか?
神様って一体なんなんですか?
存在するというのなら、
なぜ困っている人を助けてくれないのですか?
僕がこんなことを書いている
今この時、神様は何をしていますか?
存在しないのなら仕方ないけど存在するというのなら
どうか僕を助けてください
神様へ
小さい頃、子供ながらにしんどい事の連続でした。
神様は乗り越えられる試練を与えると聞いた事があります。
なかなか厄介な試練がゴロゴロ与えられたモノです。
乗り越えられる前提だとすると、神様からポテンシャル高いぞ認定された自分スゲェという事で頑張りました。
何とかここまで乗り越えて来ましたし。
でも!でもですよ?
もうそろそろ良くないですか?
たまに自分でも何目指してるんだろうと考えます。
このまま突き進むとソロで魔王でも倒しにいけそうです。ラスボスどころか裏ボスもイケるかも?って勘違いしそうです。
ですが。
世界救おうなんてそんな大それた事思っていないし、その証拠に会社員やってますし。
しがない会社員に試練を与え続けるなんて、何をさせるつもりですか。
と言うわけで、そろそろ楽隠居したいです。
是非そうさせてください!
お題: 神様へ
あなたの手紙を待っています。
起きてすぐ、手紙はまだかなと確認しています。
ご飯を食べながら、いつ手紙が届くのかとそわそわしています。
仕事の最中も、不意に手紙の内容を勝手に想像してしまっていた。
一通目の手紙。
やっと届いた連絡。
あなたからの知らせに短くても嬉しくなっていました。
二通目の手紙。
あなたが前に進んでるのを感じます。
自分もそれには負けていられないなと気持ちを新たにしました。
三通目の手紙。
……ほんとうは、早くあなたに会いたいです。
あなたはこの手紙を送るまでに、ここに記せなかった経験をどれほど積んでいるでしょうか。
薄い紙一枚。
そこに記された文字の行間にはどれほどの感情が含まれているのか考えてしまう。
早く、あなたに会いたいです。わたしの神様にお帰りなさいと早く伝えたい。
#神様へ
『 神様へ』
神様へ、わがままかもしれないですが私と私が片思いしてるバイト先の先輩を両思いにしてください…私は先輩が居るからバイト頑張れています…神様…どうか私の恋を救ってください…
神様へ
見ていてください。
私たちは、もっともっと頑張りますよ!
#1 どうして私から大切な人を奪うの?
教えて。--神様
私は、絶望の淵に立たされたどり着いたのは
思い出のある海辺だった。
真冬の夜の海辺は寒く、このまま海へ入れば
この苦しい気持ちは楽になれるのかな?
私は海へ一歩一歩近づいた。
そのとき
「戻ってこい!おい!聞いてんのか?戻れ!!!」
と言われ手を引かれ砂場へ戻された。
『どうして助けたりするの?どうして、、、どうして!!』
と砂浜で泣きじゃくり訴えると
「死んで何になる?何にもなれないやろ!」
と言い放たれた。
その人の友人らしき男性に、
「車から毛布を持ってきてくれんか?」と言い
泣いている私に、そっと毛布をかけてくれた。
私はその人の胸に抱き寄せられ、
雪が降り始めた満月に照らされ眠りについた。
神様へ
どうか、私の感受力・創造力・思考力を
私の残ったモノ全てを葬り去った彼らを
微塵も残さず、抹消して下さい。
私が苦しみ、踠き、嘆く時
彼らは喜び、謳い、楽しむのです。
私が日々に怯え、恐怖し、慟哭する時
彼らは罵り、蔑み、悦に浸るのです。
人生というレールから外れたモノに
再起の機会は訪れないというのでしょうか。
正直に生きるモノが淘汰され、除外され
外道に徹するモノが生き長らえると。
それこそが狂気の沙汰、と
言うのではないでしょうか。
私の手で葬れるならば、どれほど良い事でしょう。
でも、今の私にはそれすら出来やしない。
身体も、精神も、頭すら動く事は無く、
ただ、苦痛に悶えて生きているのです。
神様よ
どうか、外道に徹する彼らを、
虚無と虚実の至るところへお導き下さい。
どうか、私が至ったこの虚構の此方へ
彼らの全てを含めて、お導き下さい。
どうか、彼らの全てを
葬って下さい。
「神様へ」
どうか、もう一度、あの時をやり直させてはくれませんか。
神様へ
私がどうして生まれたのか
人間はなぜ求められたのか
そう考えることが多々ある
私はなぜこの容姿なのか。
なんでこんな性格なのか 。
私は考えるのをやめて
屋上へ登る足を早めた。
こんなにも私を傷つけたのは
こんなに私の心をボロボロに崩したのは
そこにいる貴方なんでしょう?
柵を越えて、遺書の内容を思い出す。
あぁ、1人忘れてた。
まぁいい。
どうせ向こうでご対面だ
落下速度を楽しみながら
神様への言葉を綴る。
神様へ
本当に信じて貰いたいなら
その身その声その奇跡によって
自らをもって信じさせてみよ
神が叶えるであろう蜜に群がる人々に
神はなんて思うだろう
私はそれを欲と呼ぶんだけど
宗教勧誘の謳い文句は詐欺の手口
誰が儲かるんだろうね
少なくとも神そのものではないはず
いかに人々を
救おうが許そうが導こうが
人がいける場所は人がいけれる場所まで
私は神がいかにそれを出来ようが
ほとんどの人には不要だと思う
神が居るか居ないかは
すでに問題ではない
神がなんであったとしても
問題なのは
いかにして人が
人々と自然と生きていくのかで
それは人の問題で
神に強要される必要はない
ほとんどの宗教の基礎はそれでしかない
自分はどう向かいあうかであって
人々を扇動するのは
明らかに愚かしいし
明らかに滑稽でさえあると思う
人を救うのが使命だとするなら
人が滅ぶとしたら滅んだらいいと思う
いずれにしろ結果を目にするだろう
それが神のしたかった事とは関係なく
神はそれを目にする
神がなんて思おうと
神のそれは人には伝わらないんだろう
私はそう思っている