『新年』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
新年
1月2日
筋力をつける
2日坊主で使わなくなった健康具を無駄にしない
今日から続けて、衰える筋力を維持しよう
新年~
新しい年~
いいですね 気持ちまで 新しくなった
みたい~
おめでとう の 言葉 好きです
今年も 良い年で ありますように
今年こそ 良い年である 信じてる
今年もね 元気でいたい 我が身です
「新年明けましておめでとうございます」
そんな言葉が飛び交うこの時期。
私はこの、
「去年は去年、今年の目標を立て、それに向かってまた来年まで心を新たにして過ごしましょう!」
という雰囲気が苦手だ。
去年の私も今年の私も、私は私。
何ら変わりないのに、新年と言うだけで去年の悪い所を振り返り、その改善を図る時期。
そんなの、その都度反省して改善すればいいのに、わざわざ新年だからといって去年を振り返るとか面倒くさい。
「今年はどんな年になるんだろう」
と、わくわくしていたのが2年前。
2年前の私と今の私、どうしてこんなに違うんだろうね。
あけましておめでとうございます
今年も生きていきましょう
2025.1/2新年
今日は兄と兄嫁、姉が来るので
のんべんだらりんと言うわけにはいかない。
恐らく一年で一番気を使う一日になるので
気合い入れてきますか…
(新年)
小さい頃のお正月。
「明けましておめでとうございます」
朝ごはんからおせちでお雑煮もあんまり好きじゃない。普段は酒飲みでどうでもいいことで怒鳴り散らす父が上機嫌でお屠蘇を勧めてくるのも嬉しくもなんともなかった。
けれど新しい下着をおろし、新しい気持ちで朝を迎え、ぴしりと背筋を伸ばして家族揃って新年の挨拶を交わすのは嫌いじゃなかった。
新年
「今年もよろしく〜」
そんな感じで学校が始まった、なぜか去年より騒々しく聞こえる、なぜかと言うと、僕は、僕たちは受験生だからだ、正月の冬休みが終わればすぐに受験、みんな緊張しているのだろう。
その後、眠たい始業式を終え、帰ったとゆうよりかえろうとした去年放課後になると、他愛のない話しをしているのに捕まった。
「今年受験だから帰って勉強しろ」
相手は、話を聞かずに裾を引っ張ってくる、そこで追い打ち乎かけることにした
「この一分で行きたい高校にいけなくなるかもしれないぞ」
やっと振り向いた
「ちょっとした息抜きも必要じゃん?」
まずいなぜか納得してしまった。これは従うしかなかろうそう思った直後思い出した
『やつが一人でないことを』
そうやつら複数で行動している、ひとりなら納得させられていただろう、だが複数は無理だ同仕様もない、
僕は、あきらめた。
やつらから逃げ切ったのですぐさま家に入りおかしいことに気がついた、そう
『下校した時間から1時間たっていたのだ』
その後、思考を放棄した。
また新しい朝が始まり夜がくるそれを、数えてもうすぐ受験みんな受かるといいな。
精一杯頑張りまず
ご拝読ありがとうございます。
今年の目標
受験生になるから勉強を習慣づけて自分の目標に向かってコツコツ努力をすること。
「新年」
今年は新年早々、37度代の発熱が
先が思いやられる
新年が始まった。新年だけでなく月が変わるだけで、今度こそは!と意気込む。けど、何も変わらず怠惰な日々。変わりたくても変わるのはほんと難しい。
新年の目標を掲げてみたけど、果たして達成できるのか…
目標だけでなく、なんかいろいろ心配、不安を感じる今日この頃。
25/1/2
zm
新年早々に完徹を成し遂げた私。
今朝は五時に目を覚まして、外が薄紫になった頃合いにお散歩へ行ってきた。毎日一時間ウォーキングをすることが唯一の運動になっている。
朝の時間帯が好きで、やらかしがちな昼夜逆転時も同様に朝さんぽをする。皆が起きてくる前の朝の空気は澄んでいて気持ちがいい。冬なら尚更いい。耳も顔もひえひえにして、静かな街を歩ける冬が私は好きだから。
今日は歩いていて、幼少期の冬の出来事をなんとはなくに思い出しながら「冬っていいなあ」を再確認していた。思えば幼い頃からずっと冬が一番好きだ。
記憶にあるのは、積雪をかきあつめて滑り台をつくって遊んだり、母親に編んでもらった淡い水色のマフラーを友達に自慢していたあの頃や、ただただコタツでぬくぬくとゲームをしていたことだったりする。
そんな何気ない日常が、ずっと私は変わらず好きなんだなぁって頭の中で反芻しながら帰ってきた。
今からはファンヒーターの前でごろ寝して、積んでいた小説でも読もうと思う。きっと私はずっと変わらないのだろう。
新年 新しい年。
新しい自分と新しい人。
何も変わらないように、自分らしく生きれるように。
頑張って、頑張って、今生きている。
新年早々仕事して、あけおめなんて喜べる自分は
いない。
周りの人は新年!!あけおめ !!なんてすっごい
嬉しそうで、喜んでている。
いつからだろうか、こんなに心が荒んだのは。
今年こそはちゃんと自分を見て、自分を大事にしよう
ちゃんと、愛されていることを。
好きだってことを試すようなことをしないように。
今年もがんばろ。乗り切ろう。
新年早々、家族がしんどい。しかし、一人は寂しい。ワガママである。
『新年』
久々の帰郷‥寄り合い
朝からの酒
慈愛で満たされたとっくり
この日一年分を盃に注ぎ合う
今年はたくさんの思い出作りたいな
去年よりももっと沢山の思い出
─────『新年』
16
新年といえば。
福袋、だよね
猫用福袋を買いました♡
【新年】
元日のうちに書こうと思っていたのにもう2日になってしまった。
今年こそは!と思いながら1日も続かない私の新年の目標。
今年はどんな1年になるのやら…
できることなら心穏やかな1年になってほしい。
でももし何か思いがけないことが起きても「生きる」覚悟を持てる自分でありたい。
ささいなことで悩む弱い自分を認めながら、それでも生きる自分でありたい。
たくさんの目標とそれに伴うしんどさとが合わさっている。
抱負、よく出来た言葉だ。
負を抱くのだから。
昨年サボったツケが今年になってどかっと精算の時を迎えているようだ。
ツケは払わなきゃなあ、推しの台詞が今は耳に痛い。
そんな新年の幕開けである。
さてはて一つずつこなしていこう。
今年の抱負は
余裕のある生活をすること
強い20歳を迎えること
たくさん笑うこと
新年早々寝正月ではあるが
切り替えつつ 整えねば。
_ ₂₀₅
元旦になると感傷的な気分になる。
と、言うのも数年前に亡くなった飼い犬を思い出すから。
亡くなる前の愛犬は海を散歩するのが大好きだった。潮の匂いなのか砂浜の感触なのか理由は分からなかったが、とにかく近づいてくると早足になっちゃうくらいに大好きだった。
そんなに大好きなら毎日行ってあげたいのは山々だが、家から海まで微妙な距離があり、自分だけでさっさと脇目もふらずに歩いても20分位はかかる。
犬との散歩なら30〜40分くらいかかってしまう。
そんな訳で、愛犬にとってはたまにしか行かないお楽しみの場所、それが海散歩であった。
いつしか元旦の朝は大雨でもない限り、愛犬とのんびり海に行き、砂浜に体を擦りつけたり、穴を掘ったり、ボールで遊んだり、波と砂でドロドロになったりが習慣になっていた。
亡くなった年の元旦も、長く歩けないため犬用カートに乗せて海に行き、砂浜で降ろしてあげたら喜んでいた。水平線の向こうの大海原をじーっと目に焼き付けるように見ながら、海の風と匂いを楽しんでいるように見えた。
そんな訳で、元旦になると海に行かなきゃいけない気分になり、最愛の犬がもういない事を認識させられてしまう。
私にとって新年(元旦)は必ず愛犬を思い出す日なのである。
新年
10月に親が亡くなって親姉兄とたくさん過ごし12月の49日でも会ったので年末年始は各々で静かに過ごしている。
親姉兄たちは身近な存在だけど、距離感を保って付き合っていかないとお互いに疲弊する。
こんな事は人に言えないが、正月の過ごし方は人それぞれでいいと思っている。
どれが良いとか悪いとかではなく。