『手を繋いで』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
手を繋いで
もし手がなくても
手は繋げるらしい
変な言葉
それこそ言葉狩りみたい
もし手があっても
手なんて繋げない
変なオトナ
恋ってもみじ狩りみたい
怪我をしないように
道に迷わないように
小さい頃は必ず ”手を繋いで” 歩いた
過保護すぎたと反省している
なので、走り回る子供に見向きもせず
用事を済ませて行くお母さんを見ると
その放任っぷりに尊敬までしてしまう
それでも子供はスクスク育つのだ
『ここに、愛と勇気を持って、見守ることを誓います!』
いまさらながら、『解放宣言』
手を繋いで
「ねぇねぇ手繋ご?」
いいよ。
2人でいつも通り手を繋いでいつも通りの道を歩いて帰る。
こんな平和な日常が大好きだ。
私が1人で出かけても、帰ってきた時に玄関で待っていてくれて、ギューってしてくれる。
今度は私が言ってみたい。
いつも通りの道で
「ねぇねぇ手繋がない?」
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
親子の話に聞こえましたか?
恋人同士の話に聞こえましたか?
「手を繋いで」
苦しくて
もう歩けないよ
誰か手を繋いで
連れて行ってよ...
びっくりした、ぬるい手だな。
俺たちの体温が同じくらいってことか。
#手を繋いで
【手を繋いで】
おてて繋いで仲良しこよし?馬鹿言うな。そんなもんある訳ねぇだろ。実際、裏切られたし、排斥もされた。無理なもんは無理なんだぜ。俺が悪いとも思うがどうしようもない。辛いかって?忘れたよ。こんな事、延々と考えてたくない。
明日こそはきっと、なんて明日には言えないかも知れない
手を繋いで
お母さんお父さん
祖父母
そのくらいしか手を繋いだ記憶はない
君と手を繋ぎたかったような気がするけれど
過去に戻ったとしても
絶対手汗とか気にしちゃうし
ドキドキしすぎてそんなことできない
そもそもお互いパーソナルスペースが広かったよね
手をつなげる距離に僕たちはいなかったさ
【手を繋いで】
始めての登校日。
小学1年生だから、本当に始めて学校に行く日。
同じ登校班のお姉さんが、手を繋ぎながら
歩幅を合わせて歩いてくれた。
生憎の雨模様寒かったけど、
暖かかったあの手は、今でも覚えている。
すっかりと冷えてきた気温に、ぶるりと全身を震わせながら自転車を漕ぐ。
今は夜勤明けの帰り道で、空はまだ暗い。
手袋もしていない手は冷えきっているが、それに構うことなく、アパートまでの道を走る。
10分ほど漕ぐとアパートが見えてくる。
ラストスパートだとばかりに、白い息を吐きながら進むと、やがて到着した。
キキィィィ……というブレーキ音を響かせた後、鞄から鍵を取り出すと部屋へ続く階段を上る。
そうして、手に握った鍵でドアを開けると、暖かな空気が全身を包んだ。
真っ暗な部屋は静かで、けれど、どこか安心する。
靴を脱ぎ、上着も脱いでハンガーにかけた後、チラりと寝室へと目を向ける。
おそらく、今日もまだ眠っているのだろう。
「ただいま」
そう声をかけて、覗き見たドアの隙間を閉じようとした瞬間、もぞりと布団が動く。
「……ん、おかえり……?」
眠そうに目を擦りながら、上半身を起こし、呟く彼女の視線はまだ定まっておらず、ぼんやりとしている。
起こしちゃったかな、と思いドアを開け、彼女の方へ近づくと、そのままぎゅっと抱き締められた。
「起こしちゃった? ごめんね、まだ寝てていいよ」
「大丈夫だ、問題ある……」
「問題あるじゃん」
うとうとした様子の彼女とそんなやり取りをしつつ、思う。
「あったかい」
「お布団入ってたから……体冷たい」
「外にいたからね」
俺の体が冷たいことに納得がいかないのか、抱きついたまま唸り声をあげる彼女。
「一緒にお布団被る」
言い終わる前に、ぼふっと布団を被せると、そのまま俺の手をとって。
「お仕事お疲れ様、手冷たいからぎゅってして寝る」
「ありがとう」
小さくて温かな彼女の温もりを感じたまま、目を閉じる。
疲れからかすぐに、睡魔が襲ってくる。
意識が遠のく直前まで、繋いだ手にぎゅっと力を込めていた。
【手を繋いで】
[お題]手を繋いで
汗ばむ手 繋げば赤らむ 愛おしい
手を繋ぐ。
ひとつの動作に揺れる心が愛おしい。
手を繋ぐ。
ひとつの動作に落ち着く心が愛らしい。
手を繋いで
「久しぶりに出掛けるんだから仲良く手を繋ごうよ。」
なぁんて、小さい頃から両親に言われてたのに、
気づいたらもう私も大人の仲間入りだよ。
そして、私の隣にいるのは大切な家族。
私の両親も大切な家族、だけど私は他にも新しい家族ができたよ。
お母さん、お父さん、ずっと見守っててね。
そして、ようやく2人の気持ちがわかった。
手を繋ぐと、心まで暖まるんだね。
今では家族みんな、恥ずかしがって手を繋いでくれないんだけどね。
そんな中、気づいたら私も2人と歳が近くなってきたよ。
私の大切な年の離れている子もとうとう結婚するらしい。
だんだんと一緒にいる人、時間が減っていくけどね、
私は今の暮らし、すっごく満喫してる。
そしたらね、久しぶりに家族が手を繋いでくれたんだ。
その手は今までで一番暖かく感じたよ。
少し名残惜しいけど、私もそろそろそっちに会いに行くかもね。
手を繋いでいて
最期はあなたの顔を見て
手と手で繋がっていたいの
あなたを愛してるというのに
時間があるなら
いくらでも囁くわ
あなたもそう思ってくれているなら
握り返して
手を差し出してきた
手を繋いでってこと?
え?繋ぐの?
いや、まだあまり心の準備ができてないんだけど
ものすごく恥ずかしいんだけど
でも繋ぐよね
普通繋ぐよね
むしろ繋がないでどうするって話だよね
じゃあもう繋ぐ!
あー、ちょっと手が震えてるかも
ちょっと落ち着いてからにする?
けどあんまり時間かけると気を使わせるよね
よおし、やるぞ
繋いじゃうぞー!
あっヤバい、あったかい
絶対今顔真っ赤でしょ
体がやけに熱いし
だけどなんだろうね、嬉しい感じがする
#手を繋いで
保育園で勤めていると、抱っこをせがむ子どもたちで溢れている。「抱っこ」して欲しいということは、抱っこしてくれる人が信頼できる人だったり甘えたい存在であったりするということなので、嫌われていないということだし、いいことなんだと思う。
思うんだがな。
たぶん私が誰でも構わず抱っこしてしまうし、抱っこする頻度が高いからだろう。
いつ何時もいろんな子どもたちから抱っこをせがまれるのだ。
初めは子どもたちの気持ちも不安定な中、保育園で過ごしているので仕方の無いことだと思っていたし、抱っこするのが嬉しくて、子どもたちを沢山抱っこしていた。
だけどもう12月。そろそろ子どもたちにも抱っこしなくてもいいようになってくる時期だし、体重も重くなってきて、そろそろ腰が痛い。
そう思っている時、とある職員が言っていた
ー 手を繋ごうよ 。
あ、その手があったか。
私は、職員に言われて素直に手を繋いでいる子どもの姿を見て、これがいい!と思った。
後日、私は「手をつなごう」作戦を決行する。
降園間近の子どもたち、多くの子どもが保護者のお迎えを待ち、そわそわしている頃だ。
「抱っこして〜」
ついに私に抱っこをせがむ子どもに出会う。
よし、今言う時がきた。
ー 先生ね〜、抱っこいっぱいしすぎて腰が痛いから、代わりに手つなご!
「いやだ!」
ーーまぁそう言われるよね。そりゃそうだ。
そう思っていたその時、
「抱っこないなら、ほかの先生に行くもんねー( ・̆⤙・̆ )」
ーー(・д・。)エ
こうして手をつなごうと誘った私には誰も抱っこをせがまなくなっていった………。(泣)
#保育士の日常
もしも、手を繋げたなら
もしあの時、手を離さずにいられたら
まだ一緒にいられたかもしれない。
もし、もう一度手を繋げたら。
また君と一緒にいたい。
今度は絶対に離さないから。
『手を繋いで』
ある日突然両親が死んだ。
私たち双子は泣いた。ずっと。
そして祖父母の家に引き取られた。
祖父母は優しく私たちに接してくれた。
しかし私たちはずっと部屋に引きこもって泣いていた。
このままじゃだめだ………
私たちが泣くことを両親はきっと望んでいない…
前を向かないと。
すぐにじゃなくていい。
少しずつ少しずつ。
そして私たち双子は一緒に手を繋いで前に進む。
きっと2人なら……
氷雅
(手を繋いで。)🦜
あのね
僕は・・・・
すずめ、だから
手は繋げ無い・・・。🦜
(でもね)
「僕は、優しい、叔父さん。の
手の上で 遊びながら
指先をつかむのが
大好きなんだよ。」
✣叔父さん、の指先は
暖かいし 柔らかなんだね。🦜
✣僕が、眷属の使いを終えて
《大日如来。》様の指先
に留まり
・報告している時みたいなんだよ。🦜
・ちなみに。如来様の
指先はすべてを
包み込む様に優しい。🦜
【きっと、叔父さんも
如来様。の様な
心の持ち主なのかも知れない。】
・此れは内緒なんだけど。
❝優しい、叔父さん。は実は
・大日如来。の化身では無いかと
勘繰って居る処なんだよ。❞
🦜🦜🦜
老いた母の手をとり
歩いた。
小さく、あたたかい手。
ヨチヨチと歩く。
昔は、
手を引かれ歩いた手。
手を繋いで歩いた道。
あの頃につながる道。
手を繋いで、握手をする。それはスキンシップ。誰もができる友好の証。誰と手を繋ぎたいかは人それぞれ異なるもの。
同性のみだったり、異性ともだったり。相手は人それぞれ異なっている。
異性とするのは結婚している夫婦だけだったりしている。あるいは子供同士だったり。
無邪気な子供たちの握手は親愛の証でもあるかのよう。仲良しや仲直りの証明であるかのよう。
大人になれば、最愛の人や友人たちとの握手が主になるだろう。ビジネス相手との握手も同じく。
握手とはより親密になりたいという気持ちの表れなのかもしれない。握る強さによっても。
強く握れば、強い信頼を示したい。親愛が強い証拠となる。弱ければ愛は弱くとも穏やかなものだろう。握る強さが弱いだけかもしれなくても。
愛の絆で結ばれている夫婦を見てほしい。あの二人が交わし握る握手は弱いものだろうか。
そうではない。強いものである。互いへの愛が強いからこそ、それが握手にも表れるのだ。
その二人が交わす握手というのは、弱いものではない。弱かったらさっと終えてしまうだろう。
強い握手と弱い握手。どちらにしても、そこにあるのは親愛の情でもある。
最愛の人の最期の時にも交わすのも握手である。弱々しくともそこには愛の強さが秘められている。誰もそれを邪魔するべきではない。二人だけの遺された時間を大切にするためにもーー。
ーー握手というのは、世界中で受け入れられているスキンシップの一つ。同性異性関係ない。
握手の拒否というのはスキンシップの拒否にも繋がる。それは縁を自分で断つのと同じ意味となってしまう。それはとても悲しいものである。
けれども、握手する相手はしっかりと選ばなければならない。悪い相手との付き合いが良いものを台無しにしかねないものであるのだから。
だからこそ、しっかりと気をつけなければならない。良い相手とのスキンシップを楽しむのなら、自分自身が良い人になれるのだからーー。